芥川龍之介の『神神の微笑』をキリスト教的視点から考察する。

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    芥川龍之介『神神の微笑』とキリスト教  初めに、『神神の微笑』は日本文化に根付いている”微妙で曖昧な”内的側面が見事に表現されている素晴らしい作品だと思い、感心しました。少なくとも私は芥川氏の宗教観を受け容れます。
     この物語は、布教のためにポルトガルから単身で渡来したオルガンティノ神父が、先入観から”穢らわしい日本の霊の力”(text p.383 : l.4) を根拠も無く恐れている、というような描写が印象深いと思いました。本文の前半部分では、オルガンティノはそれを悪魔と同質のものと思い込んでいました。しかしある日突然”日本の霊の力”が具現化した老人が現れ、「オルガンティノの渡来以前にも支那などから渡来した高名な学者たちが居たが結局(文化的に)征服できずに日本の風土に馴染んでいった」、という事実を彼に教えました。つまり、当時の日本人は伝来する技術を手本にしたものの、渡来するものとは異なる日本独特の新しい美を生み出したということです。さらにその老人はオルガンティノにこう諭しました。「泥烏須(デウス)のようにこの国に来ても勝つものはない(text p.388 : l.3)」と。しかしオ...

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