ノーマライゼーションとデンマーク・日本について

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    資料紹介

    ノーマライゼーションとは何か、ノーマライゼーションと日本はどのような関係があるのだろうか?また、福祉の進んでいるデンマークではどうだろうか?今回このレポートでは、初めにノーマライゼーションの経緯を述べ、日本とデンマークにおけるノーマライゼーションのあり方について考えていく。
     知的障害がある人びとに対する新たな福祉的対応の方向性を、ノーマライゼーションと言う造語で表現したのは、デンマークのN・E・バンク‐ミケルセン(Bank-Mikkelsen,Niels Erik)である。
     バンク‐ミケルセンは、ノーマライゼーションの理念の根幹となる思想は全人類の平等であり、たとえその人の障害がどんなに重いものであっても、他の人と全く平等であり、法的にも同等の権利を持つと言う事を強調した。そのうえで、「量的に平均だから普通(normal)なのではない、また障害があるからといって、少しもその人が異常(abnormal)なのではない。だから人は障害のゆえに差別される事があってはならない。たとえ身体的に、また知的に障害があったとしても、一人の人間であり、障害のない人と同等であり、一般市民と同じ条件の下で生活をする権利がある。ノーマライゼーションの目標は、障害のある人をノーマルにする事ではなく、彼らの生活条件をノーマルにすることである」と彼は訴えた。

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     ノーマライゼーションとは何か、ノーマライゼーションと日本はどのような関係があるのだろうか?また、福祉の進んでいるデンマークではどうだろうか?今回このレポートでは、初めにノーマライゼーションの経緯を述べ、日本とデンマークにおけるノーマライゼーションのあり方について考えていく。
     知的障害がある人びとに対する新たな福祉的対応の方向性を、ノーマライゼーションと言う造語で表現したのは、デンマークのN・E・バンク‐ミケルセン(Bank-Mikkelsen,Niels Erik)である。バンク‐ミケルセンは、1944年にコペンハーゲン大学法学部を卒業。さらに、同年のナチスのデンマーク不法侵入と同時に、他の学生と共にレジスタンス運動「団結デンマーク」に身を投じる。そしてナチスに逮捕され、コペンハーゲン西刑務所、ついでドイツ国境近くの強制収容所にデンマーク解放の時まで収容生活を送る。
    1945年26歳の時に開放されると、デンマークの社会省に入り、たまたま空席だった知的障害者福祉課の仕事に就く。施設行政の仕事の傍ら、当時の知的障害児が巨大な施設に終生収容され、本人や家族の了解なしに優生(断種)手術が実...

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