論題
ここでは小泉純一郎内閣のときに議題に上った有事法制(有事法制関連三法案)の課題設定のプロセスを、キングダンの「政策の窓」モデルを用いて説明することとする。
問題の流れ
ここでは数多くある考慮されるべき諸問題の中でなぜ有事法制が注目を浴びたのかを考えてみよう。有事法制とは侵略や武力闘争・紛争が発生したときの自衛隊(軍隊)の動きを規制する法制である。なぜこれが意識されるようになったのか。まず考えられるのがアジアにおける緊張が強まったことだ。小泉の靖国参拝などで中韓の反日感情が高まったこともあるだろうが、それよりも重大だったのは朝鮮民主主義人民共和国、すなわち北朝鮮との間における日朝関係の緊張の高まりである。この緊張関係の背景には1998年の小渕政権時に日本に向けてテポドン1号が発射されたことや、2002年ころまで北朝鮮のものと思われる不審船が立て続けに出没したこと、それと関連して日本人拉致問題にスポットが当てられたことにより発覚した工作員の存在可能性などがあり、国民の不安が強まったことがある。しかしながらそれよりも大きなショックを日本に与えたのは2001年のニューヨーク同時多発テロ(いわゆる9.11)の発生である。これにより「テロとの戦い」という標語が頻繁にメディアで取り上げられ、アジアのみならず全世界的にテロに対する恐怖感・緊張感が一気に増大し、その衝撃は平和国家と呼ばれていた日本をも揺るがし、より強い国防の需要が生じた。また自衛隊のイラク派遣などの賛否をめぐる議論が波及し、自衛隊の存在意義など自衛隊に関する議論そのものも活発化された。これら北朝鮮問題と同時多発テロが与えた衝撃が、この法制が注目されたことの最大要因であろう。
◆政策の流れ
この有事法制という考えそれ自体の起源は古く、防衛庁が設置されて以来の懸案であった。第二次朝鮮戦争勃発の危機を懸念して防衛庁内において有事法制の研究が始まったのが敗戦後初めての研究である。この研究を通称「三矢研究」と呼び、正式名称を「昭和38年度総合防衛図上研究」といい、小泉純也防衛庁長官(小泉純一郎の父)の指揮の下研究された。昭和38年に行われた研究であることから三矢研究と名づけられた(毛利元就の三本の矢の故事を陸海空三自衛隊にみたててあやかったという説もある)。これは朝鮮半島で有事が起こった際に日本政府および自衛隊、そして在日米軍がどのような行動をとるべきかを具体的かつ詳細に研究したものであった。この研究は非公式かつ非公開の形で進められていたが、1965年に日本社会党の岡田春夫によってこれの存在が暴露されてしまった。この時代は自衛隊の合憲性の問題や賛否の議論が根強かった戦後間もない時代であったため、この研究は頓挫してしまったのである。このように時期尚早感のあった有事法制であるが、有事法制をめぐる議論は冷戦終結後に進展を見せる。ソ連が崩壊した後も北朝鮮の軍政といった朝鮮半島の不安があり、日米防衛協力の指針(日米ガイドライン)の見直しが図られた。また中東情勢の不安定化したため、(中東の石油利権を手に入れたいアメリカと、石油の中東依存度が高く、安定した供給を望む日本との利益が一致した)日米ガイドラインに基づいた周辺事態における日米の行動を規定した周辺事態法が成立した。このように様々な政策が行われてきたが、さらにリチャード・アーミテージ米国防副長官が来日した際に提出した「アーミテージ・レポート」によって日本に対する有事法制案の整備が求められたことを契機に、日本政府は有事法制の整備を検討していくのである。
◆政治の
論題
ここでは小泉純一郎内閣のときに議題に上った有事法制(有事法制関連三法案)の課題設定のプロセスを、キングダンの「政策の窓」モデルを用いて説明することとする。
問題の流れ
ここでは数多くある考慮されるべき諸問題の中でなぜ有事法制が注目を浴びたのかを考えてみよう。有事法制とは侵略や武力闘争・紛争が発生したときの自衛隊(軍隊)の動きを規制する法制である。なぜこれが意識されるようになったのか。まず考えられるのがアジアにおける緊張が強まったことだ。小泉の靖国参拝などで中韓の反日感情が高まったこともあるだろうが、それよりも重大だったのは朝鮮民主主義人民共和国、すなわち北朝鮮との間における日朝関係の緊張の高まりである。この緊張関係の背景には1998年の小渕政権時に日本に向けてテポドン1号が発射されたことや、2002年ころまで北朝鮮のものと思われる不審船が立て続けに出没したこと、それと関連して日本人拉致問題にスポットが当てられたことにより発覚した工作員の存在可能性などがあり、国民の不安が強まったことがある。しかしながらそれよりも大きなショックを日本に与えたのは2001年のニューヨーク同時多発テロ(...