政教分離

閲覧数3,765
ダウンロード数26
履歴確認

    • ページ数 : 1ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    わが国の政教分離の定義については、一切の宗教儀式を禁止する『国家と宗教の分離』とケースバイケースである『国家と教会の分離』のどちらなのかで定義をめぐって争われている。そもそも政教分離とは国家の非宗教性あるいは宗教への中立性を意味するのだが、国家と特定の宗教が結びつくことによって行われる宗教弾圧から,少数者の信教の自由(20条1項前段)を保障する必要がある。ただ信教の自由の目的はあくまでも『目的』であり、あくまでも『手段』なのであり、例えば刑務所内での受刑者の教【言毎】は身体の自由の拘束であっても、心の自由までは踏み込んではいけないのである。つまり信教の自由は制度的な保障(個人の基本的人権には属さないもの)であるのだ。
    学説、判例から見ていくと、わが国では『厳格分離説』が学説上有力である。それは?戦前の国家神道の反省、?日本国憲法はアメリカ型、?神道指令をもとに判定、?憲法20条3項(いかなる宗教的活動も禁止)という4つの解釈から憲法は、国家と宗教の厳格な分離を採用しているというものである。しかしこれを採用すると靖国参拝は間違いなく憲法違反となるし、宗教系私立学校への助成なども違憲とういうことになるので、緩やかな限定分離を採用しようとする『限定分離説』もある。最高裁の判例でも見られ、師の私見でもある後者は、国家と宗教との関わりを一切排除することは不可能である現実を考えれば妥当であると考える。そこで判例から見ていくと『津地鎮祭事件』、『愛媛玉串料事件』のような大きなリーディングケースがある。前者は、津市は市体育館の起工にあたり神社神道の儀式に則った地鎮祭を挙行し、市の公金をその費用として支出し

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    わが国の政教分離の定義については、一切の宗教儀式を禁止する『国家と宗教の分離』とケースバイケースである『国家と教会の分離』のどちらなのかで定義をめぐって争われている。そもそも政教分離とは国家の非宗教性あるいは宗教への中立性を意味するのだが、国家と特定の宗教が結びつくことによって行われる宗教弾圧から,少数者の信教の自由(20条1項前段)を保障する必要がある。ただ信教の自由の目的はあくまでも『目的』であり、あくまでも『手段』なのであり、例えば刑務所内での受刑者の教【言毎】は身体の自由の拘束であっても、心の自由までは踏み込んではいけないのである。つまり信教の自由は制度的な保障(個人の基本的人権には属...

    コメント1件

    hrm12ch 購入
    とても参考になりました。
    2006/12/27 21:37 (18年前)

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。