平成29年後期メディア授業の最終レポートです。
評価としては「S」でした。
決して丸写しはせず、ご参考程度としてください。
総合科目M(日本大学を学ぶ―その120年の歴史)試験
学祖山田顕義が掲げた理想は、日本法律学校の創設から現代までの間でどのように受け継がれ、変わっていったと考えるか。明治から平成という大きな時代の変化や、当時の社会要請(近代国家の歩み)を意識しながら、あなたの考えをまとめなさい。
学祖山田顕義は吉田松陰の松下村塾に入門し、幕末から明治初年は軍人として活躍した。その後、岩倉使節団に随行、欧米諸国の軍事制度を研究、帰国後に軍事よりも法律が重要と考え、司法省で務めた後に日本で最初の司法大臣に就任。明治15年に皇典講究所の所長に就任し、明治22年に日本法律学校を創立した。創設した際の目的は「日本法律学校設立趣意書」に記されている通りである。
日本法律学校ができたときは、大日本帝国憲法が公布され、日本全体が欧米に追い付け追い越せを目標に、そして明治政府は欧米の列強との不平等条約改定を進めるために近代法を整備しており、他の学校が欧米法の教育が主な時代にあって、山田は日本の歴史、文化、伝統に立脚した日本の法律を学ぶ学校を作り、私学として独自性を発揮した。
学校創設3年後、帰省途中に立ち寄った生...