佛教大学 哲学概論 第2設題 Q0505 A評価

閲覧数1,958
ダウンロード数5
履歴確認

    • ページ数 : 5ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    2017年度にA評価で合格したレポートです。購入にあたっては以下のことを確認してください。
    ①丸写し、コピペ等は避けてください。法令・校則等で処罰の対象となります。
    ②あくまでA評価の基準を示すものであり、合格または高評価を保証するものではありません。参考資料として利用してください。

    タグ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    第三章「知識の問題」第一節「認識の意味」の内容を要約せよ。そしてテキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。
     我々は感覚(五感)に頼って生活している。赤い花を見る場合でも見る人の環境や身体的特徴によって影響されたりする。時には赤いリボンといった形が似たようなものと見間違うかもしれない。これほど感覚というものは不確実なものであると言える。また、自分が見ている赤い花と全く同じものを他人が見ている保障はどこにもない。感覚とは虚偽であり、何らかの存在についての認識ではなく、感覚は幻のような表象であって、理性的認識だけで真実を捉えるとするならば、我々の日常はどう捉えるべきか、感覚は何らかの真実性を持っていると考えざるを得ない。
     感覚は不確実であり、上記の通り信頼に足るものでなく、全く同じものを他人が見ている保障はどこにもないが、しかしある個人にとってその通り見えていることは確かである。感覚はその都度毎に個人にとって真であり確実である。
     一時的または個人的な感覚認識は、真の意味での認識という価値はない。そこで、普遍妥当的な知識とそれに基づいた認識が求められるべきである。プラトンの認...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。