東京裁判の再考から現代に至るまでの史観

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    資料紹介

    ―東京裁判の再考から現代に至るまでの史観―
    ―序文―
    1945年(昭和20年)8月15日、太平洋戦争が終結し敗戦国として日本の位置づけが決定された。この史実は過去の日本が過ちを犯したという根元となり、今日のゼミの研究会や公共の場で討議する事などはそうそう容易いものではなく排他的に扱われる。特に若年層の歴史観からは、この様な戦争史を再考することや是か非かについての意見を発議する事それ事態がタブーとされている風潮が現実に存在している。なぜこの様な非常に重要な日本史の出来事を認識しより深く検証されないのか?浅薄な知識では触れてはいけないのか?平和ボケや個人主義の蔓延によるものか?2004年を迎え、およそ戦後60年を一年後に控えた日本を今一度捉えなおして見る価値があるはずだ。それは老若男女を問わず今生きている平和な現状を享受している傍ら、太平洋戦争を思考から切り離して考える事は日本人自身の歴史観を否定していると私は感じその意識の欠如を危惧するからである。
    ―東京裁判からパル判決書を含め時代考察をしてみるー
    太平洋戦争敗戦以後、日本はGHQに占領され戦争責任の追及と共に日本社会の民主主義を推し進め様々なインフラ整備や政策(農地改革、財閥解体、労働改革)を施した。またそれに関わる論点として天皇制の利用やA級戦犯の釈放の疑問等が挙げられるが何よりも気にかかるのは東京裁判の議論である。これは現在に至るまで日本に自虐史観を植え付けた最大の裁判であり、またここに登場するインド代表のラダピノッド・パルの「パル判決書」に私は関心を抱く。大まかに示すと東京裁判におけるパル判決書は、
    勝者が敗者を裁いた裁判である
    事後裁判ではないか
    個人の責任が問えるのか
    の三点である。この①について言えばドイツは戦後自ら戦犯を裁いており、また日本人自身の手で戦犯を裁量する事は可能であったと言えるし連合国が正義の立場を牛耳る程の優位性があったとは思えない。戦争の勝者が果たして敗者を裁ける権利があるのか?戦争当時行われていた植民地での日本の残虐的行為(満州事変や南京大虐殺)は非であるとの見解が有力ではあるが連合国の中ではその様な出来事は歴史の表舞台に出て来ない。一方的勝者の裁きは、今日のイラク問題とも直結しており国連を介さずアメリカ独自の論理で空爆し多大なる被害や非人道的行為、更には政治的機能の破壊から石油資源の操作までもが平然と行われている。戦争の正義を謳い上げる世界の警察はより巧妙に進化したネオコロニアリズムを軸とした外交政治を転回していくのだろう。
    ②についてだが日本敗戦後1946年1月「極東国際軍事裁判所条例」をマッカーサが定義し「平和に対する罪」や「通例の戦争犯罪」や「人道に対する罪」で裁くことが決定した。しかし、太平洋戦争中に「平和に対する罪」や「人道に対する罪」は国際的な概念自体が存在せず、後になってからこれら二項が法律として作成、及びそれに基づき裁く行為が行われる。この行為は「罪刑法定主義」の原則である「存在していた法律に違反した者が裁かれる」に背く事後裁判であった。連合国が戦争責任を加重した事実からある種の思惑が見え隠れする。私はここにGHQの策略であるウォーギルトインフォメーションプログラム(以下、WGIP)遂行へのプロセスが如実に表出してきているのではないかと感じる。
    ③の戦時下における個人の責任は果たして問えるものなのか?知識人による多様な見識の中、共感せずにいられないのが戦争は国家としての行為であるとして個人の戦争中の行動をどれほど詳細に論議出来るのか?という見方だ

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    ―東京裁判の再考から現代に至るまでの史観―
    ―序文―
    1945年(昭和20年)8月15日、太平洋戦争が終結し敗戦国として日本の位置づけが決定された。この史実は過去の日本が過ちを犯したという根元となり、今日のゼミの研究会や公共の場で討議する事などはそうそう容易いものではなく排他的に扱われる。特に若年層の歴史観からは、この様な戦争史を再考することや是か非かについての意見を発議する事それ事態がタブーとされている風潮が現実に存在している。なぜこの様な非常に重要な日本史の出来事を認識しより深く検証されないのか?浅薄な知識では触れてはいけないのか?平和ボケや個人主義の蔓延によるものか?2004年を迎え、およそ戦後60年を一年後に控えた日本を今一度捉えなおして見る価値があるはずだ。それは老若男女を問わず今生きている平和な現状を享受している傍ら、太平洋戦争を思考から切り離して考える事は日本人自身の歴史観を否定していると私は感じその意識の欠如を危惧するからである。
    ―東京裁判からパル判決書を含め時代考察をしてみるー
    太平洋戦争敗戦以後、日本はGHQに占領され戦争責任の追及と共に日本社会の民主主義を推し進...

    コメント1件

    poyon 購入
    アウトラインを正確に捉えており、問題提起としての資料としては満足
    2007/06/18 21:37 (17年5ヶ月前)

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