ネオナチ
1.はじめに
2006年W杯の開催国であるドイツにおいて、何件もの「ネオナチ」による外国人襲撃やデモが報道された。
「ネオナチ」とは「極右団体の中でも公然とナチズムやヒトラーを信奉するもの」¹である。つまり、ナチスに起源を持つものであると考えられる。第二次世界大戦後、ナチスが否定され、「非ナチ化」政策が行われたにも関わらず、なぜ「ナチズムを信奉するもの」がいなくならなかったのか。
第二次世界大戦が終わり60年。ドイツはナチズムの迫害の犠牲者に対する補償を行なってきた。その戦後処理は日本と比べ、国際的にも高く評価されている。そのドイツで何故「ネオナチ」が問題となるのか。ナチスの思想はドイツから排除できないものなのだろうか。発生の歴史を追いながら考えていく。
2.第二次世界大戦後のネオナチ
第二次世界大戦後、連合諸国は西ドイツにおいて「非ナチ化」政策を行い、ナチス関係者を審査し、公職から追放した。ところが、膨大な対象者を処理しきれず、戦後数年のうちに恩赦や無罪とされた元ナチス関係者は数百万人に上り、旧ナチス関係者を徹底的に排除することはできなかった。これは西ドイツの官僚機構の再建のために熟達した専門職員を必要としたことも原因である。1951年にはナチス期の活動が理由で公務から罷免された約15万人が、恩給を請求できるようになり、再び公務につく可能性を認められ、実際に旧西ドイツの官僚機構に元ナチス関係者が用いられていた。²
また、当時の国民の意識の中にも「ナチズムの残像」が残っていた。1948年の世論調査³では「ナチズムはよい理念ではない」と答えた国民が28パーセントであるのに対し、「ナチズムが実行したことは悪いが、理念は良い」と考えている国民が57パーセントにも上ることが明らかになった。さらに1951年の世論調査⁴では「今世紀においてドイツが最も繁栄した時期はいつか」という問いに対し、「ナチス国家(1933~39)」は42パーセントの支持を得た。ここに掲げた2つの世論調査から戦後数年間しか経っていないにも関わらず、西ドイツにはナチスの思想に共感する国民が少なからずいたことが分かる。もちろん、ナチスの思想に共感する者たちがすべてネオナチとなったわけではないが、ネオナチを誕生させる社会基盤を形成することとなったと言えるだろう。
さらに、戦後西ドイツでは失業者は百数十万、旧東ドイツからの難民は一千万人以上にも上り、社会主義に対する深い怨念と強烈な反共主義が鬱積していた。これらの要因を背景として多数の極右政党が元ナチス党員の活動家によって結成されることとなった。代表的な存在は1949年の発足した社会主義帝国党であり、議員数は約2万人に上り、州議会で議席を獲得するまでに至った。しかし、1952年に連邦憲法裁判所により違憲判決が下され禁止されてしまう。この時期から他の極右勢力も禁圧されることとなり、地下に潜行したり、偽装組織を作るなどしたが、その偽装組織も禁圧された。1952年から1960年代初頭までは、極右勢力にとっては「冬の時代」であった。
「冬の時代」における極右グループの分化や合流により、1964年にドイツ国家民主党創立された。この党は今日でも健在であるが、外国人労働者に対するドイツ人労働者の職場確保やナチス戦争犯罪に対する大赦の要求などナチスを思い起こさせる主張を行った。この政党の多く、特に役員の多くを旧ナチス党員占めていたが、注目すべき点は党員の役三分の一が若い世代であるということである。つまり、旧ナチスの流れをくまない世代が担い手と
ネオナチ
1.はじめに
2006年W杯の開催国であるドイツにおいて、何件もの「ネオナチ」による外国人襲撃やデモが報道された。
「ネオナチ」とは「極右団体の中でも公然とナチズムやヒトラーを信奉するもの」¹である。つまり、ナチスに起源を持つものであると考えられる。第二次世界大戦後、ナチスが否定され、「非ナチ化」政策が行われたにも関わらず、なぜ「ナチズムを信奉するもの」がいなくならなかったのか。
第二次世界大戦が終わり60年。ドイツはナチズムの迫害の犠牲者に対する補償を行なってきた。その戦後処理は日本と比べ、国際的にも高く評価されている。そのドイツで何故「ネオナチ」が問題となるのか。ナチスの思想はドイツから排除できないものなのだろうか。発生の歴史を追いながら考えていく。
2.第二次世界大戦後のネオナチ
第二次世界大戦後、連合諸国は西ドイツにおいて「非ナチ化」政策を行い、ナチス関係者を審査し、公職から追放した。ところが、膨大な対象者を処理しきれず、戦後数年のうちに恩赦や無罪とされた元ナチス関係者は数百万人に上り、旧ナチス関係者を徹底的に排除することはできなかった。これは西ドイツの官僚機...