科目コード07806「道徳の指導法」第1分冊
道徳教育の論争
1872年(明治5)年に「学制」が発布し、「修身」科ができた。福沢諭吉の啓蒙主義理念を根底として出発した修身科だが、1877(明治10)年以降、元田と伊藤の「教学大旨」と「教育議」論争を始めとして、教育勅語が発布されるまで道徳教育の論争が続いた。
1880(明治13)年「教育令」を改正し、「改正教育令」では、修身科を教科の筆頭に置き、儒教道徳が再び強くなった。
1882(明治15)年、文部省が著した「小学校修身書編纂方大意」は、儒教を推進し、欧米近代思想を根本原理とする道徳は普通教育には弊害多きものであると決めつけた。そのため、福沢諭吉ら開明派の知識人は強く反発した。
1885(明治18)年、初代文部大臣、森有礼は小学校の修身は教員の談話と率先垂範によって児童を導くべきだとし、修身教科書不要説を唱えた。その後、多種多様な意見の対立から「徳育の混乱」と称せられ、政府は徳育の明確な方針をけしかねていたのである。
1890(明治23)年、芳川顯正が文部大臣になり、中村正直草案の「敬天尊神」は西洋哲学理論によっ...