私のレポートの多くは教科書とインターネットのみで作成しており、参考文献を用いたものは末に記載しております。評価はAが多く、不合格になったことはありませんので安心してください。
先輩・後輩・友人たちとレポートや試験のことを対策できる四年制大学とは違い、通信教育は孤独や情報不足との戦いだと思います。そこで是非当資料を参考にしていただければと思いました。丸写しにすると罰則?があるようなので、あくまで「この程度が合格基準なのか」ということを測るものさしとしてご活用ください。
鎌倉幕府と執権政治について。
平氏を滅ばした源頼朝は征夷大将軍に任じられ、鎌倉幕府を形成した。鎌倉時代はこれまで目立たなかった関東が、近畿と並んで日本の中心となる場所として焦点が当てられた時代でもあった。以降、我が国の歴史は近畿と関東の二つの舞台を中心に繰り広げられる。そして、将軍となった源頼朝ではあったが、実権を掌握していくのは源一族ではなく、執権として政権を担った北条氏であった。以下に鎌倉幕府の一世紀半を、執権政治の成立と展開を通して考察していく。
《鎌倉幕府と執権政治の成立過程》
鎌倉幕府の構造はシンプルである。地方を治めるために、国ごとの武士の責任者である「守護」を設置し、各荘園には「地頭」を設置した。中央に関しては、御家人という「侍所」、財政を管理する「政所」、裁判を行う「問注所」を設置した。そして、これらを束ねるのが「将軍」であり、その下に「執権」という将軍の補佐等を行う役職があった。執権は北条氏が代々世襲し、鎌倉幕府滅亡までに計十六もの執権を輩出する。なお、位が上の将軍に代わり、この執権が中心となって国家を収める政治形態を「執権政治」という。
鎌倉幕府初期の頼朝の治...