佛教大学、日本史のレポートです。
1発合格で、B評価をいただきました。
鎌倉幕府と執権政治について
【鎌倉幕府の成立】
治承四年(一一八〇)、以仁王の命旨を受けた源頼朝は武士集団の支持を得て、南関東に覇権を確立し、鎌倉に拠点を定めた。この時、全国的内乱の嵐であったが、その状況で幕府支配の足場を築き、源頼朝を首長とする軍事政権としての鎌倉幕府が成立した。そして、文治元年(一一八五)壇ノ浦で平氏一族を滅亡させ、建久元年(一一九〇)上洛し、朝廷支配層の一員に加わることや治安警察権を認められることで、幕府は軍事力の国家的位置づけが明確となる。その後の建久三年(一一九二)源頼朝が征夷大将軍の地位を獲得し、江戸幕府まで続いた武家政権の象徴となる「将軍」の名目が成立する。鎌倉幕府を支配する骨格は文治元年(一一八五)に設置された守護・地頭の実現によって支えられており、特に地頭は全国支配の支柱であった。また、公家政権と武家政権、朝廷と幕府による二重構造の政治は、この時代に確立されたものと考えられる。
【執権政治の始まり】
頼朝時代の幕府では、頼朝個人の意思が大きな力を持っており、そのような専制支配を基盤とする体制は、その後に権力闘争を引き起こす原因となった。実際、正治...