言語論
私は、夏休みに幾つかの日本語をテーマとしている本を読んだ。そうしているうちに、日本語をこえて、言語そのものについて考えさせられることが多々あった。そして、論ずるべきテーマが見えてきた。それが、「言語とヒトとの関わり」と「言語の恩恵」「言語の恣意性」である。
いうまでもなく、言語はヒトのみが使用している。(イルカなどは超音波で会話しているといわれているがここでは外しておく)そしてヒトはどの動物よりも物事を深く洞察することができる。当たり前のように感じるが、実はこれはヒトが言語を使うことが出来るからだと私は思う。
ヒトは進化の過程において、北京原人のとき既に言語を使っていたとされるが、彼らは、大事な身内が亡くなると葬式をしていたという。言語を使えると感情が生まれ、喜怒哀楽を認識することが出来るのである。では、ここで言語が使えると何故物事を考えたり、感情を自ら把握することができるのかについて述べたいと思う。
けだし、世界は無限の情報の網が張りめぐらされている。そこからその一つ一つを理解するためには、どうしても分節する必要性が出てくる。元来世界は大きな大きなカタマリであって、捉えようの無いぼんやりしたものなのである。
そこで生まれたのが言語である。ヒトは世界を理解するために名前をつけ始めるのである。例えば、木にたわわな赤い実がぶらさがっているのを見て、ヒトはそれを食べてみる。すると思った以上においしくて、仲間にそのことを伝える。しかし、その赤い実が何かは説明できない。なので実のある木まで仲間を連れていき、やがてヒトはみなそれを「りんご」と名付けるのである。そうして、もう木までいかなくてもお互いに理解することができる。
ここで、言語は「フィルター」の役割を果たしているといえるのではないか。
先程のりんごの例で考えると、言語というものを媒介してはじめてりんごと把握できるのである。もっとわかりやすく言えば、ヒトは裸眼では世界がぼんやりとしか見えず、何もわからないが、言語というメガネをかけてはじめて認識できるというわけである。ここで、こんなエピソードを紹介しよう。
日本のとある小学校に国際交流のためオーストラリアからアボリジニーを呼んだそうだ。そして彼を教室に招きいれ、先生が「みなさん黒板を見てください」と呼びかけると、アボリジニーの彼は何も理解できず、ただボーっと前を見ていた。そして教師に「白い壁と黒い壁があるのはわかるが、黒板と言うのは何か」と尋ねたのだそうだ。アボリジニーではそのような概念がなく、説明を聞いてはじめて「黒板」とは授業に使われる黒い板だとわかったらしいのである。
さて、言語が世界の限りない情報を分節化し、ヒトは認識できるという点はもう納得いただけたと思う。では、次に、「言語の恩恵」について書こうと思う。
このテーマは上記の要点と大いに関係しているが、人類が今日のように発展してきているのにも言語があるからだというのを述べたいのである。それは一国さえ救う力があるのである。そう、近代の日本に注目しよう。鎖国時代、ペリーが来航し、日本の従来の統制が崩れ、明治時代には日本は滅びそうになった。しかし、日本は必死であった。国を保持するべく奮闘した。ヨーロッパから優秀な学者を集め、日本の近代化に協力してもらった。そのプロセスにおいて、多大な問題点があった。それは、言語の壁だ。
何も、ヨーロッパ学者と日本人の間にコミュニケーションがとれなかったわけではない。
日本は近代化が遅れていたのはあまりにも有名だが、近代化が進んだ国では戦闘機があり、鉄砲技術が発
言語論
私は、夏休みに幾つかの日本語をテーマとしている本を読んだ。そうしているうちに、日本語をこえて、言語そのものについて考えさせられることが多々あった。そして、論ずるべきテーマが見えてきた。それが、「言語とヒトとの関わり」と「言語の恩恵」「言語の恣意性」である。
いうまでもなく、言語はヒトのみが使用している。(イルカなどは超音波で会話しているといわれているがここでは外しておく)そしてヒトはどの動物よりも物事を深く洞察することができる。当たり前のように感じるが、実はこれはヒトが言語を使うことが出来るからだと私は思う。
ヒトは進化の過程において、北京原人のとき既に言語を使っていたとされるが、彼らは、大事な身内が亡くなると葬式をしていたという。言語を使えると感情が生まれ、喜怒哀楽を認識することが出来るのである。では、ここで言語が使えると何故物事を考えたり、感情を自ら把握することができるのかについて述べたいと思う。
けだし、世界は無限の情報の網が張りめぐらされている。そこからその一つ一つを理解するためには、どうしても分節する必要性が出てくる。元来世界は大きな大きなカタマリであって、捉えようの...