マレー沖海戦について
1.はじめに
マレー沖海戦を『国史大辞典』で引いてみると「太平洋戦争開戦初頭に生起した、イギリス東洋艦隊の戦艦二隻に対する海空戦。昭和16年(1941)12月8日、日本陸軍が海軍の護衛のもとにマレー半島のシンゴラ・パタニー・コタバルに上陸したことを知ったイギリス東洋艦隊司令官長フィリップス提督は、戦艦プリンス=オブ=ウェールズとレパルズを率い、駆逐艦四隻に護衛させてシンガポールを出撃し、日本軍の船団泊地の攻撃を企図した。サイゴン付近の飛行場に展開していた松永貞市少将の指揮する日本海軍の中型陸上攻撃機88機は、12月10日午後、攻撃を断念してクヮンタン沖を南下中のイギリス艦隊を猛攻し、雷撃と爆撃によって2戦艦を撃沈した。ハワイ海戦は停泊艦隊に対する奇襲であったが、マレー沖海戦は戦闘準備を完成して航行中の戦艦に対する航空部隊の強襲であり、それまで各海軍国が信じていた戦艦至上主義を根底から覆す結果となった。」とある。
ここでとくに重要なのは最後の戦艦至上主義を根底から覆したことである。戦艦至上主義とは、戦艦同士の砲撃戦によって海戦ひいては戦争そのものの勝敗が決まる...