日本の言語

閲覧数2,803
ダウンロード数12
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    (1)明治時代における日本の言語差
    明治維新を経て日本が近代国家への道を歩み始めようとするときに重要な事柄のひとつが言語の統一だった。つまり標準語や国語の形成が必要とされた。「国語元年」はそうした時代に文部省の官僚であった主人公が全国統一話し言葉の制定を命じられて、家中から口語の統一を試みるというドラマである。
    しかし家中で話される言葉は、津軽弁、長州弁、薩摩弁、遠野弁、江戸武家言葉、江戸町言葉と多岐にわたっていて、言葉の統一など簡単なことではない。これが言語差ということになるだろう。現在では標準語が電波に乗って日本全国を飛び回り、日本の隅から隅まで同じ言葉を伝えている。アナウンサーは訓練によって手に入れた流暢な標準語を使う。このため私たちは普段から標準語を話すことや聞くことを当たり前のこととして受け止めているが当時の日本ではそうではなかった。現在でも冗談で津軽弁は外国語などと言われるのを耳にするくらいなので、当時の方言同士の違いの大きさは今とは比べ物にならないほどであったろう。方言の違いは多岐に渡っていた。アクセントから語彙、方言独特の言い回しなどである。
    このような言語差がなぜ生じたかは、なぜ言語差が消滅したかを考えることによって逆説的に分かると思う。西洋に伍していけるような近代的中央主権国家を作るには言語の統一は不可欠だった。古代中国の秦でも文字の統一を行っている。国を画一的に統治していくために全国民が理解できる言語が必要だった。また国民国家の概念にも標準語は必要だった。国語が制定されることによって集団は共通性を意識し、ナショナルアイデンティティーの形成に役立った。このとき標準語の元となった言葉は特に意識しないで受け入れられた。国はこれらのために意識して標準語、国語を作り出そうとした。そのひとつの例が「国語元年」の主人公である。現在私たちが当たり前に受け入れている標準語の元は江戸の方言だった。科学技術の進歩も標準語の形成に一役買った。明治になると蒸気機関車が利用できるようになり、日本列島はますます狭くなっている。人間の往来が激しくなり、それは同時に言葉が交じり合いひとつの言葉が形成されやすいことを意味する。
    逆に江戸時代以前は、大名が自分の領土を支配する一種の地方分権制だった。徳川氏が天下を統一したといっても、その土地の支配権は大名が握っていて、徳川氏でも大名の領土に支配権を及ぼすことはできなかった。また士農工商の身分の違いは厳しく、人間は土地に縛り付けられ、自由な移動は難しかった。このような統治体制ではそれぞれの領土の人間の移動がされないので言葉も交わることがなく、言葉はその土地独自の発展を遂げることができた。人間の交流が活発でなく、社会が狭い土地で完結していたのが異なる方言があちこちで発達できたことの理由と考えられる。
    (2)沖縄の言語の歴史
    沖縄の言語は日本祖語から分離したといわれていて、元をたどると本土の言語と沖縄の言語は同じものだった。しかし地理的に本土と断絶していたので、交流が難しく本土と沖縄の発展の仕方はまったく異なったものになった。それに伴って言語にも沖縄独自の成立、発展過程が現れ、現在では本土の人が沖縄の方言を理解することは不可能なほどに異なった沖縄方言が成立した。
    沖縄に独自の言語文化ができた大きな理由は、南海に浮かぶ地理的な孤立状況とそれに伴う社会発展の停滞だと思われるが、具体的に沖縄の言語の発展過程を語る上で大きな影響が認められるもののひとつに、沖縄に文字が伝わるのが遅かったことが挙げられる。東アジアで最初に文字を発

    タグ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    (1)明治時代における日本の言語差
    明治維新を経て日本が近代国家への道を歩み始めようとするときに重要な事柄のひとつが言語の統一だった。つまり標準語や国語の形成が必要とされた。「国語元年」はそうした時代に文部省の官僚であった主人公が全国統一話し言葉の制定を命じられて、家中から口語の統一を試みるというドラマである。
    しかし家中で話される言葉は、津軽弁、長州弁、薩摩弁、遠野弁、江戸武家言葉、江戸町言葉と多岐にわたっていて、言葉の統一など簡単なことではない。これが言語差ということになるだろう。現在では標準語が電波に乗って日本全国を飛び回り、日本の隅から隅まで同じ言葉を伝えている。アナウンサーは訓練によって手に入れた流暢な標準語を使う。このため私たちは普段から標準語を話すことや聞くことを当たり前のこととして受け止めているが当時の日本ではそうではなかった。現在でも冗談で津軽弁は外国語などと言われるのを耳にするくらいなので、当時の方言同士の違いの大きさは今とは比べ物にならないほどであったろう。方言の違いは多岐に渡っていた。アクセントから語彙、方言独特の言い回しなどである。
    このような言語差がなぜ生じ...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。