Q0101日本の歴史第1設課合格
「鎌倉幕府と執権政治について」
B評価ですが、鎌倉幕府自体に関する内容を付け足すと評価が上がります。
指定教科書を中心にまとめたものです。
参考にぜびどうぞ。
はじめに
「執権」とは、鎌倉幕府の職名である。職名としてはまず朝廷の記録所の勾当の別称であり、この制は延久一年(一〇六九)の記録所の設置にさかのぼるが,勾当を執権と称したことが確認できるのは文治二年(一一八六)以後である。第三代将軍源実朝の時、北条氏が政治の実権を握るようになってからを「執権政治」というのが一般的に呼ばれるようになった。北条時政が初代の執権の役職に就いた。 本来の意味は字の通り、政務を執ることで、頼朝のころには大江広元が政所別当(長官のようなもの)として将軍の補佐を行っていて、執権と称していた。後にこの政所別当が侍所別当を兼務するようになってからはこの執権職の権限が大きくなっていって、鎌倉幕府独自の執権職が出来上がった。このような事実があるが、どのようにして「執権政治」が成立、発展したのかを今後考察する。一.鎌倉幕府における執権の成立 二.「執権政治」の成立 三.得宗専制について以上三つの項目から記述していく。
一.鎌倉幕府における執権の成立
文治元年、平氏勢力を長門国壇ノ浦で壊滅させた頼朝は、地域的軍事政権をして鎌倉に対抗するだけの勢力を有した奥州藤原氏を文治五年に...