横浜事件、秋田事件の事実認定についての論評
1、横浜事件地裁、高裁判決及び秋田事件地裁、高裁判決についてジェンダー論の視点からコメントする。両事件ともに問題となる行為が行われた空間が2人きりの状態であったことから、両者の供述の信用性の優劣が裁判の主な争点となった。
上記の4つの裁判例においては、各裁判所による事実認定がそれぞれ大きく異なっているため、その結論も地裁、高裁で全く正反対となっている。地裁・高裁において提出された証拠や証言内容は変遷もなく大差がないにもかかわらず、である。この点につき、私は司法の場における誤った性暴力事件に対する認識、知識の浅さが原因であると考える。上記4裁判例にも現出するジェンダーバイアスの問題点を明確にして以下でコメントする。
(1)「強姦神話」との関わりから生じるバイアス
横浜事件地裁の事実認定において、裁判所の認定によれば、原告供述中のわいせつ行為に対する原告の反応が総じて「不自然である」とされている。判決文において、裁判所は、性的な問題行為に対して「顔を背け、体をくねらせ、腕を突っ張るなどして抵抗したり」等の通常あるべき反応を例示的にいくつか挙げている(注1)。そして、原告の供述から窺われる行動は例示された行動のいずれにも該当しないこと、また原告の供述には「冷静な思考及び対応」が認められることを原告の言動の「不自然さ」の理由付けとしている。秋田事件地裁の判決文中の事実認定にも同様の記述が見受けられる。その判決文において、「原告が主張するような暴力的な強制わいせつ行為があったならば、反射的に助けを求める声をあげたり、右行為から逃れるための何らかの抵抗があるのが『通常』であるのに、原告の供述内容では、原告は、ベッドに押し倒された後、両肩を押さえつけられるまでの間、声を上げることもせずに、被告のなすがままにされ、両肩を押さえつけられて、初め抵抗らしい抵抗を示したというのであ」り、「原告が供述する右の対応は、強制わいせつ行為に対する対応としては、通常のものとはいえない」こと、「強制わいせつ行為にあった被害者は、無我夢中で逃れようとするか、反射的に抵抗したりするのが『通常』であるし、また、畏怖心に終始してまったく抵抗できない場合も考えられる」にもかかわらず「原告が供述する右態度は、そのいずれにもあたらないものであって、強制わいせつ行為の被害者の態度には、およそそぐわない冷静な思考に基づく対応であ」ることを理由として原告の「供述内容には、『通常』でない点、不自然な点が多々あり、原告の主張するような強制わいせつ行為がなかったのではないかとの重大な疑念を生じさせるものであることは否定できない」と結論付けている。そして、供述の信用性という点では「被告の供述よりも原告の供述の方が不自然な点がより多く見受けられる」と認定している。
裁判所がどうしてこのような判断を下すのか。その答えは「強姦神話」の社会への定着という点に求めることができる。「強姦神話」とは、一般的に強姦事件では(1)被害女性にも落ち度がある(2)嫌だったら最後まで抵抗するはず(3)見知らぬ人、異常な男がレイプする(4)性欲により衝動的にレイプする、といった誤った社会通念をいう。横浜、秋田の事件は強姦ではなくセクハラ事件であるが、両地裁判決の事実認定中には「強姦神話」が影響を及ぼしていることが認められる。両地裁判決では「通常」という言葉が多用されており、「通常」の女性であればセクハラ行為に対しても(2)のように最後まで抵抗するはずである、という認識が裁判所には存在する
横浜事件、秋田事件の事実認定についての論評
1、横浜事件地裁、高裁判決及び秋田事件地裁、高裁判決についてジェンダー論の視点からコメントする。両事件ともに問題となる行為が行われた空間が2人きりの状態であったことから、両者の供述の信用性の優劣が裁判の主な争点となった。
上記の4つの裁判例においては、各裁判所による事実認定がそれぞれ大きく異なっているため、その結論も地裁、高裁で全く正反対となっている。地裁・高裁において提出された証拠や証言内容は変遷もなく大差がないにもかかわらず、である。この点につき、私は司法の場における誤った性暴力事件に対する認識、知識の浅さが原因であると考える。上記4裁判例にも現出するジェンダーバイアスの問題点を明確にして以下でコメントする。
(1)「強姦神話」との関わりから生じるバイアス
横浜事件地裁の事実認定において、裁判所の認定によれば、原告供述中のわいせつ行為に対する原告の反応が総じて「不自然である」とされている。判決文において、裁判所は、性的な問題行為に対して「顔を背け、体をくねらせ、腕を突っ張るなどして抵抗したり」等の通常あるべき反応を例示的にいくつか挙げて...