設問1:法人は人権の享有主体になりうるか
そもそも、人権とは個人の権利であるから、その主体は本来自然人でなければならない。そこで、法人は自然人ではない以上、人権の享有主体となり得ないのかが問題となる。
これについては、性質上可能な限り法人も人権の享有主体となり得ると考える(性質説)。
その論拠としては、第一に、法人は現代社会において一個の社会的実体として重要な活動を行っていることが挙げられる。現代社会においては、表現の自由のみを取り上げても、マスメディアが重要な部分を担っており、マスメディアたる新聞社や放送局の表現を憲法上保障する必要がある。また、現代におけるわが国の社会的経済的発展には、法人の財産的な保護は必要不可欠である。第二に、法人の活動は自然人を通じて行われ、その効果は究極的に自然人に帰属することが挙げられる。
この点、最高裁も、八幡製鉄政治献金事件判決(最大判昭和45.6.24)において、憲法第三章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能な限り内国の法人にも適用されると判示している。
それでは、人権保障が性質上可能な限り法人に適用できるとして、そのような人権は何であろうか。これについては、人間個人にとって自然の属性と考えられる領域の人権、つまり、生命や身体を害されない権利、内心の自由、生存権等は、自然人にのみ認められる権利であり、法人には認められないと考える。また、選挙権、被選挙権も権利の性質上法人には認められない。しかし、他の多くの人権保障は法人も享有できる。財産権、営業の自由、居住移転の自由のような経済的自由権はもとより、請願権、裁判を受ける権利のような国務請求権、通信の秘密、適正手続、住居の不可侵、刑事手続き上の各種の権利等が法人には認められる。ただし、法人に対して人権保障が及ぶとしても、その保障の程度は自然人と同じとはいえない。その理由としては、法人は強大な社会権力を持つものが少なくないことから、政策的考慮に基づいて自然人とは異なる規制が必要な場合があることが挙げられる。また、自然人の人権との抵触がある可能性が大きいため、法人の自由や権利に対して必要な限度での規制を認めざるを得ないことから、法人の人権については、自然人よりも広汎な積極的規制を加えることが許されるものと考える。
設問2:会社は、自然人たる国民と同様に、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対する等の政治的行為をなす自由を有するか。
政治的行為は、自然人にのみ認められる選挙権その他参政権の行使と緊密にかかわるため、法人たる会社に政治的行為をなす自由が認められるか問題となる。
これにつき、八幡製鉄事件判決(昭和45.6.24)は、「会社は自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有する。政治資金の寄付もまさにその自由の一環であり、会社によってそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあったとしても、これを自然人たる国民による寄付と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない」と判示し、法人の政治的行為の自由を自然人の政治的行為の自由と全く同列のものと解し、政治資金を寄付するという政治的行為をほとんど無限定に認めた。
確かに、会社は納税者たる立場も有することから、国や地方公共団体の施策に対し、支持、推進、反対する等の意見表明やその他の行為をすることを禁じる理由はなく、表現の自由の一態様としての憲法21条で保障される政治行為の自由は認められると考える。
しかし、法人において政治的行為の自
設問1:法人は人権の享有主体になりうるか
そもそも、人権とは個人の権利であるから、その主体は本来自然人でなければならない。そこで、法人は自然人ではない以上、人権の享有主体となり得ないのかが問題となる。
これについては、性質上可能な限り法人も人権の享有主体となり得ると考える(性質説)。
その論拠としては、第一に、法人は現代社会において一個の社会的実体として重要な活動を行っていることが挙げられる。現代社会においては、表現の自由のみを取り上げても、マスメディアが重要な部分を担っており、マスメディアたる新聞社や放送局の表現を憲法上保障する必要がある。また、現代におけるわが国の社会的経済的発展には、法人の財産的な保護は必要不可欠である。第二に、法人の活動は自然人を通じて行われ、その効果は究極的に自然人に帰属することが挙げられる。
この点、最高裁も、八幡製鉄政治献金事件判決(最大判昭和45.6.24)において、憲法第三章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能な限り内国の法人にも適用されると判示している。
それでは、人権保障が性質上可能な限り法人に適用できるとして、そのような人権は...