今の私には様々な選択の道がある。進学、就職、結婚…。OLだろうと、専業主婦だろうと、大体は自分の思うように自分の人生を決めることができる。身の回りには多量のメディアが存在し、情報を選ぶことができる。しかし、例えば戦前の日本女性に情報を選ぶ自由があっただろうか。また、女性像が時代と共に変化していく上で、メディアはどのような役割を果たしてきただろうか。「モダンガール論」を読んだことで、多少なりともメディアと女性像の形成との関係が分かったように思う。
今のようにテレビやインターネットのなかった明治時代〜昭和初期、多くの女性にとって女性誌の影響は非常に大きかっただろう。だが、職業婦人と労働婦人では、この女性誌の捉え方は異なってくる。この時期、たいていどれも職業婦人や中産階級の主婦が読者モデルとされていた。ちょうどそのモデルの階級に属する人にとっては、今私たちが雑誌を読むような感覚で読み、自分の生活に役立つ情報は活用し、理想の女性像があればそれに近づくように努力したのだろう。しかし、いくら努力しても女工や女中がいきなり主婦になることは難しい。このような労働婦人にとって、女性誌は憧れの女性像の載ったものとしか映らなかっただろう。自分に直接関係する話題ではないけれど、世の中には自分と異なる暮らし振りの女性が存在すると知り、また夢をもったに違いない。
階級の差による女性誌の受け取り方は異なるとはいえ、誌上でなされた論議をもとに多くの女性が自分の意見と照らし合わせ、人生に疑問を抱いたことだろう。メディアを通じて新しい思想にふれることで別の生き方を発見し、突き進んでいった人もいるだろう。このように、情報を得たあとの一人一人の判断と行動が社会全体の女性像の変革を招いたように思う。では、もしメディアがなかったらどうなるだろうか。
今の私には様々な選択の道がある。進学、就職、結婚…。OLだろうと、専業主婦だろうと、大体は自分の思うように自分の人生を決めることができる。身の回りには多量のメディアが存在し、情報を選ぶことができる。しかし、例えば戦前の日本女性に情報を選ぶ自由があっただろうか。また、女性像が時代と共に変化していく上で、メディアはどのような役割を果たしてきただろうか。「モダンガール論」を読んだことで、多少なりともメディアと女性像の形成との関係が分かったように思う。
今のようにテレビやインターネットのなかった明治時代~昭和初期、多くの女性にとって女性誌の影響は非常に大きかっただろう。だが、職業婦人と労働婦人では、この女性誌の捉え方は異なってくる。この時期、たいていどれも職業婦人や中産階級の主婦が読者モデルとされていた。ちょうどそのモデルの階級に属する人にとっては、今私たちが雑誌を読むような感覚で読み、自分の生活に役立つ情報は活用し、理想の女性像があればそれに近づくように努力したのだろう。しかし、いくら努力しても女工や女中がいきなり主婦になることは難しい。このような労働婦人にとって、女性誌は憧れの女性像の...