罪刑法定主義
<定義>
罪刑法定主義とは、いかなる行為が犯罪となり、それに対してどのような刑罰が科されるかについて、あらかじめ成文の法により明確に規定しておかなければならないという刑法の基本原則である。一般に、フォイエルバッハが提唱したラテン語の標語によって、「法律無くば刑罰無く、法律無くば犯罪無し」と定義される。濫用されがちな刑罰権を制御する原理として、現代の刑法解釈を強く規定するものであり、近代以降の西欧型刑法の大原則である。
<歴史的沿革>
罪刑法定主義の根本精神は、古くイギリスのマグナ・カルタ(1215年)に遡る。その中で、国民の手になる「法」によって権力、特に刑罰権を制限しようと定めたのであった。その後、権利請願および権利章典などに受け継がれ、やがてアメリカに渡り、1774年のフィラデルフィアを初めとする諸州の権利宣言を経て、ついにアメリカ合衆国憲法において成文化された。
英米においては刑事手続きの面で罪刑法定主義が採用されたが、ヨーロッパ大陸では実体刑法上の原則とされ、1789年のフランス人権宣言を経て、1810年のナポレオン刑法典において明文化されるに至った。このような経過をたどって、罪刑法定主義は近代刑法の基本原則となった。
日本では、ナポレオン刑法典にならい、旧刑法で初めて明文をもって罪刑法定主義を宣言した。やがて帝国憲法が制定され、罪刑法定主義が憲法上の原則となった。現行刑法は、罪刑法定主義の規定を有していないが、帝国憲法下においても当然にこの原則は維持されていた。
<派生原則>
罪刑法定主義には、「犯罪は国民自身がその代表者を通じて決定しなければならない」という民主主義的要請と、「犯罪は、国民の権利・行動の自由を守るために前もって成文法により明示されなければならない」という自由主義的要請が含まれている。前者が法律主義の原則であり、後者が事後法の禁止の原則である。
さらにここから派生する原則として、以下の四つが挙げられる。
慣習刑法の排除
これは法律主義の原則から導かれるもので、犯罪と刑罰は法律の形式により明文で規定することを要し、刑法の法源として慣習法を認めないとする原則をいう。
しかし、構成要件の内容や違法性、責任の判断の根拠などにおいて、慣習や条理に依拠すべき場合は少なくない。また、慣習刑法の排除は、犯罪と刑罰を新設する場合の原理であるから、刑罰法規の解釈や違法性の判断などに関して、慣習・条理が刑罰法規の補充的機能をもつことまでも否定すべきではない。たとえば、123条前段の水利妨害罪における水利権は慣習によって認められるというように、刑法典自体も慣習のほう厳正を認めているのである。
判例も刑罰法規の枠内で刑法の法源となる。従来は法律主義の趣旨から判例の法源性は否定すべきであるとする見解が有力であったが、裁判法4条では判例に一定の先例拘束性が認められており、先例に従って判断することによって法的安定性が得られるとともに、国民一般の予測を可能にする。この意味において、判例の法源性を認めることは罪刑法定主義の要請にこたえるものといえる。
刑法不遡及の原則
これは事後法の禁止の原則から導かれるもので、刑罰法規は、その施行の時以後の犯罪に対してのみ適用され、施行前の行為に遡って適用してはならないとする原則をいう。
しかし、6条では「犯罪後の法律によって刑の変更があったときは、その軽いものによる」と規定し、刑法不遡及の原則に例外を設けている。これは、法律の改正により行為時法と裁判時法とが異なった場合には、いず
罪刑法定主義
<定義>
罪刑法定主義とは、いかなる行為が犯罪となり、それに対してどのような刑罰が科されるかについて、あらかじめ成文の法により明確に規定しておかなければならないという刑法の基本原則である。一般に、フォイエルバッハが提唱したラテン語の標語によって、「法律無くば刑罰無く、法律無くば犯罪無し」と定義される。濫用されがちな刑罰権を制御する原理として、現代の刑法解釈を強く規定するものであり、近代以降の西欧型刑法の大原則である。
<歴史的沿革>
罪刑法定主義の根本精神は、古くイギリスのマグナ・カルタ(1215年)に遡る。その中で、国民の手になる「法」によって権力、特に刑罰権を制限しようと定めたのであった。その後、権利請願および権利章典などに受け継がれ、やがてアメリカに渡り、1774年のフィラデルフィアを初めとする諸州の権利宣言を経て、ついにアメリカ合衆国憲法において成文化された。
英米においては刑事手続きの面で罪刑法定主義が採用されたが、ヨーロッパ大陸では実体刑法上の原則とされ、1789年のフランス人権宣言を経て、1810年のナポレオン刑法典において明文化され...