仙台市のまちづくりについて
仙台市は1989年に政令都市に認定された宮城県の県庁所在地である。県の中域に位置し、西は山形県境、東は太平洋岸と接する東西にのびた市で、政令都市の中では2番目に面積の広い都市である。山沿いは自然豊かで1500m級の山岳もあり、都会的な街並みが広がる中心部にもケヤキ並木など樹木が多いため「杜の都、仙台」とよく呼ばれる。古くから城下町として栄え、東北の中心地となった仙台であるが、歴史を見てみると大きな災害を経て発展してきたことが分かる。
●仙台の歴史
仙台は約400年前、伊達政宗によって開府され、その後城下町として発展してきた。明治初期には東北全体が取り残され人口が減少したが、明治10年頃から仙台の都市基盤の整備が始まった。交通では1887年に上野~仙台間に鉄道が開通し、91年には現在の東北本線が開通した。市内では1919年にバスの運行が開始され、26年には市電も開通する。教育面では全国で3番目の帝国大学である東北帝國大學(現・東北大学)が設置され、その他にも仙台神學校(現・東北学院大学)などの高等教育機関が発達しており、「学都」と呼ばれるようになる由縁である。
順調に発展していった仙台も、太平洋戦争の際アメリカ軍により東北最大規模の仙台空襲があり、被災戸数約12000戸、死者1066人にのぼる大惨事となった。しかし、戦後には復興事業が進み、あらゆる面が整備されることとなる。まず街の中に、50メートルにもなる定禅寺通りをはじめ、青葉通り、広瀬通り、東二番町大通、宮城野大通などの大通りが作られた。現在、仙台駅以西がやや碁盤の目のようになっているが、これもこのときの整備で作られたものである。
その後仙台空港開港、東北道開通など著しい発展を遂げるが、その最中またもや惨事が仙台の街を襲う。1978年の宮城県沖地震である。死者13人を出す、大きな被害となったが、しかしここでも災害から再生することでさらに発展してゆくことになる。1982年には東北新幹線が開業し、これをきっかけに多くの企業が東北進出の足がかりとして仙台に支店を設けるようになった。こうして東北の中心都市としてに地位を確立していった仙台は、市制施行100周年の1989年に政令指定都市となった。1999年には人口100万人を突破し、現在は102万人ほどが暮らす大都市となっている。
●仙台における市民によるまちづくり
まず仙台の特徴のひとつとして、大きな祭りが多いことがあげられる。春には「仙台青葉まつり」、夏は「仙台七夕まつり」、秋には「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」と「みちのくYOSAKOIまつり」、冬には「SENDAI光のページェント」や「どんと祭」など季節によって様々な祭りがあり、いづれも市民のみならず全国からたくさんの観光客が足を運ぶ祭りである。「青葉まつり」や「仙台七夕」「どんと祭」などは昔からある歴史的な伝統的な祭りであるが、そのほかは比較的新しく市民が中心となっている祭りで、特に「光のページェント」は市民の発案によって生まれたイベントである。
「SENDAI光のページェント」とは、毎年12月中旬から大晦日まで、市街地にある定禅寺通りを中心に街中のケヤキ並木を数十万個の豆電球で彩るイルミネーションイベントだ。ある市民の発案が、職業、年齢を越えた市全体の動きとなって1986年に市民ボランティアによってついに実現された。それまで冬のケヤキ並木は枯葉の舞う寂しげな景色だったが、この光のページェントによりケヤキ並木が美しく生まれ変わったのだ。20周年を迎えた去
仙台市のまちづくりについて
仙台市は1989年に政令都市に認定された宮城県の県庁所在地である。県の中域に位置し、西は山形県境、東は太平洋岸と接する東西にのびた市で、政令都市の中では2番目に面積の広い都市である。山沿いは自然豊かで1500m級の山岳もあり、都会的な街並みが広がる中心部にもケヤキ並木など樹木が多いため「杜の都、仙台」とよく呼ばれる。古くから城下町として栄え、東北の中心地となった仙台であるが、歴史を見てみると大きな災害を経て発展してきたことが分かる。
●仙台の歴史
仙台は約400年前、伊達政宗によって開府され、その後城下町として発展してきた。明治初期には東北全体が取り残され人口が減少したが、明治10年頃から仙台の都市基盤の整備が始まった。交通では1887年に上野~仙台間に鉄道が開通し、91年には現在の東北本線が開通した。市内では1919年にバスの運行が開始され、26年には市電も開通する。教育面では全国で3番目の帝国大学である東北帝國大學(現・東北大学)が設置され、その他にも仙台神學校(現・東北学院大学)などの高等教育機関が発達しており、「学都」と呼ばれるようになる由縁である...