国文学講義Ⅴ(近代)_分冊1

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    資料紹介

    【日大通信】国文学講義Ⅴ(近代)_ 分冊1 合格レポートです。
    H25-26年度課題「島崎藤村の文学的特性について記し、代表作一つを読んで、その作品の魅力について解説せよ」

    「『破戒』の鑑賞を通じて藤村文学の特性について、一定の理解ができたことと思います」との講評をいただきました。
    参考用にお使いください。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    明治三十九年三月刊行の『破壊』に始まるとされる日本における自然主義文学は、ちょうど日清戦後の深刻・観念小説に比肩すべき位置を占めている。三十年代文学の諸動向を汲みながら、戦後という特殊状況が加味されて成立したこの自然主義文学において、わが国の近代文学は本格的にその確立期を迎えた。評論と実作が互いに刺激しあいながら、前進した稀有な例であった。個人の内面の問題を表現に結びつけたという点で明らかに近代の文学であった。しかし、日露戦後の思潮を反映して作家の姿勢は前向きのものでなかった。田山花袋、島崎藤村、国木田独歩、徳田秋声などほぼ同世代作家たちの小説はもとより、彼らよりほぼ一世代後の正宗白鳥の作品についても同様の傾向がうかがえる。例えば「何処へ」(明41・1~4『早稲田文学』)を見てみよう。雑誌記者の菅沼健次は、主義にも読書や酒、女にも酔えぬ身を一人で哀れに感じる生活をしている。恩師夫妻や父親の忠告も耳に入らない。たまに何かしようと意欲をおこすが、中途で挫折してしまい、虚脱感や無力感に満たされてしまう。

    このような「何処へ」の菅沼は、戦後青年の一パターンであった。したがって、自然主義文学は...

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