教育行政学「戦前・戦後の教員養成制度の変遷」【玉川大学】

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    資料紹介

    戦前・戦後の「教員養成制度の変遷」
    ※玉川大学通信教育部「教育行政学1」平成23年度課題<評価>C(合格)

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

     このレポートでは、戦前・戦後の教員養成制度の変遷についてまとめる。日本の教員養成制度は、戦前・戦後で大きく変わる。すなわち、閉鎖的・画一的養成から開放的養成への変化である。1872(明治5)年、学制によって師範学校が構想され、1886(明治19)年、師範学校令によって教員養成は師範学校で行うとした。師範学校令時代の教員養成は、小学校教員は原則各府県に1校設置された尋常師範学校で行い、師範学校、尋常中学校、高等女学校の教員は高等師範学校が主に行い、これを検定制度が補う形であった。1945年の敗戦まで続いた仕組みであるが、この教員養成目的学校のみによる教員養成は、基本的には閉鎖的な直接養成制度であり、国の政策が直接養成機関に及ぶ仕組みであった。そのため、軍国よりの思考と、形式的で画一的な教授方法に見られる師範タイプを多く生み出した。
    戦前の師範学校における閉鎖的・画一的な養成の反省から、戦後は開放制教員養成へと変化する。すなわち、大学における教員養成と免許状授与による開放制を原則として、学芸大学・学部のみならず一般大学も含めた大学において教員養成を行うようになった。
     1949(昭和24...

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