ウェスレーにみるキリストの贖罪理解
ウェスレーと東方の伝統
Ⅰキリストの三つの職務
・預言者的な業 ・祭司的な業 ・王的な業
この教理は、改革派・ルター派政党主具の基準となり、カトリックでも使用されたが、東方教会では一般的でなかった。
ⅰ)預言者的職務
神の意志を伝え、本性的に堕落している人間を罪の力に打ち勝たせ、本来の姿に導く職務である。ウェスレーはこの職務の中で<模範としてのキリスト>を特に強調し、それは説教集の13の山上の説教に表れている。
・山上の説教
ルター・・・山上の説教で示された立法の完全なる成就を人間の救いの絶対条件と捉える。神
の律法を成就することが不可能な堕落した人間に代わって、キリストがこの律法を成就し、人
間の救いを獲得した。<キリストの積極的服従>
東方・ウェスレー・・・律法とは神的本性を写し出すものであり、福音と律法は相補的関係にある。神の神聖なる律法の成就者なるキリストの義の転嫁imputationではなく、義の分有impartation、つまり、キリストにある心を心とし、キリストが歩んだように歩む愛の律法の成就を強調した。
→キリストの模範的生き方は人間の服従の身代わりではなく、神の像を喪失した人間の回復を導く預言者的職務との関係で言及される。
・律法の三用法(カルヴァン神学)
①罪の自覚をもたらす律法
②罪の許しへとキリストに導く律法
③人間本性更新への成長をもたらす律法
*ルター、ルターは③を重視しないが、国教会・ウェスレーの律法理解の特徴はここにある。
ⅱ)祭司的職務
犠牲による神への執り成しの業に基づいて、罪人なる人間が神のもとに立ち返る働きである。
・消極的服従-キリストが身代わりになって神から罰を引き受け、罪人に赦しが与えられた
・積極的服従-キリストが神の道徳的律法を成就し、このキリストの義が罪人に転嫁される。
ⅲ)王的職務
全てのものを支配するキリストの勝利によって、神の民としての人間が神の宇宙的、終末的救済の業に参与する働きのことである。キリストは罪や悪と戦い、傷と病を癒し、神の像としての人間を回復し、王の王、主の主として、宇宙的・終末的勝利をもたらす王である。
*祭司的職務は義認に、預言者的・王的職務は成果に関わる
Ⅱ『讃美歌集』
(1780年に編纂され、五部からなるもので、メソジストの第三の教理集とも言われる)
ギャロウェーは『讃美歌集』の背後にあるキリスト論を解明し、後期ウェスレーの贖罪理解は西方と東方の両者の理解から成立していると述べる。
ギャロウェーは、キリスト論に関する従来のウェスレー研究は、西方的視点から解釈されすぎであり、東方的視点の回復が後期ウェスレーの理解に不可欠であると結論付けている。
『讃美歌集』分析
前半(一~三部) 後半(四、五部) 西方的理解中心 東方的理解中心 祭司としてのキリスト像が中心を占め、義認の次元でキリストの苦しみと死が取り上げられる。
十字架を全人類の罪に対する犠牲的死と捉える法的、客観的贖罪理解が強調され、犠牲としてささげられた子羊なるキリストという「満足説」が中心的基調を占める。 義認から聖化・完全の強調へと移行し、神の像の回復が中心。
十字架というイメージが出てきても、その本質的な機能は前半と劇的に異なり、主・勝利者・解放者/回復者/創造者・王としてのキリスト像という主題が中心となる。 個人的次元(個人の宿命成就なる完全、個人的死の勝利)での完成者・征服者としての王なるキリスト像。 社会的・政治的あるいは宇宙的・終末的次元での神の像の更新・回
ウェスレーにみるキリストの贖罪理解
ウェスレーと東方の伝統
Ⅰキリストの三つの職務
・預言者的な業 ・祭司的な業 ・王的な業
この教理は、改革派・ルター派政党主具の基準となり、カトリックでも使用されたが、東方教会では一般的でなかった。
ⅰ)預言者的職務
神の意志を伝え、本性的に堕落している人間を罪の力に打ち勝たせ、本来の姿に導く職務である。ウェスレーはこの職務の中で<模範としてのキリスト>を特に強調し、それは説教集の13の山上の説教に表れている。
・山上の説教
ルター・・・山上の説教で示された立法の完全なる成就を人間の救いの絶対条件と捉える。神
の律法を成就することが不可能な堕落した人間に代わって、キリストがこの律法を成就し、人
間の救いを獲得した。<キリストの積極的服従>
東方・ウェスレー・・・律法とは神的本性を写し出すものであり、福音と律法は相補的関係にある。神の神聖なる律法の成就者なるキリストの義の転嫁imputationではなく、義の分有impartation、つまり、キリストにある心を心とし、キリストが歩んだように歩む愛の律法の成就を強調した。
→キリストの模範的生き方は人間...