1. 米国型連結納税制度
1-1. 米国型連結納税制度の沿革
米国に於ける連結納税制度は、1917年の第一次世界大戦の最中、世界中のどの国に先駆けて導入された。その当時、米国は、第一次世界大戦に於ける戦費調達の為、累進性の高い超過利潤税を設けていた。しかし、納税者である企業は、超過利潤税を回避するため、企業自体の組織の分割を図る、いわゆる租税回避行為を行っていた。
そこで、同年、行政当局からだけではなく、外部のアメリカ会計士協会からも連結納税制度導入に関する要望書が提言という形で出されていた。
そして、「租税回避行為を防止し、グループを一つの単位として課税する為に強制適用された連結納税制度」 が導入され、1918年に初めて法律に明文化され、同時に歳入法第240条により、法人税(連邦所得税)法上に於いても強制適用することとなった。
1921年、第一次世界大戦の終結と同時に、戦費調達としての超過利潤税に於ける存在意義がなくなり廃止された事から、連結納税制度も同様に廃止された。しかしながら、法人税(連邦所得税)法上に於ける連結納税制度については、これまでの強制適用から企業による選択適用へと適用基準を変化させ、企業が連結納税制度を選択適用する場合、内国歳入庁長官の許可及びその継続適用の要件を定めた上で、存続されることとした(歳入法第240条(a))。それから、1924年には、連結グループの親会社が保有する子会社の株式、いわゆる連結範囲を、議決権株式の95%以上にすると言う改正を行った。
ところが1928年になると、連結納税制度を廃止する流れが出てくる。その理由としては、連結納税制度を巡る訴えや、法令の解釈等に対する問題が噴出してきた為であり、同年、米国議会の下院に於いて、連結納税制度廃止案は可決となったが、上院が、下院の決定を退ける格好となり、連結納税制度は米国の税制に於いて継続されることになった。
しかし1929年に起こった世界恐慌による米国の経済状況の悪化により、連結納税制度を廃止すべきという流れは大きくなる。
それは、取りも直さず、経済状況の悪化による影響からであり、多数の赤字企業の欠損金額が黒字企業の所得を飲み込んだ結果として、深刻な税収減を引き起こしたのである。連結納税制度の存続・廃止が議論されている最中の1932年、税収減に対する解決策として連結納税制度を適用する場合に付加税 を課すことが決定された
しかし、経済的な不況は続き「欠損金通算を認める連結納税申告制度に対する批判が続出するなか」 、1934年には、公共性が高い鉄道会社を除き、連結納税制度を廃止することになった。
それから暫く経った1940年、第二次世界大戦の勃発に伴い、超過利潤税の復活と同時に選択適用という形で再び導入を決定した。しかし、適用するにあたり、「外国企業、中国貿易法人、役務提供法人(personal service corporation)、保険会社」 は適用除外とした。
1942年には、法人税(連邦所得税)法上、2%の付加税を課すとことを条件とした連結納税制度を適用した。それから、戦争終結から暫くたったの1954年の歳入法改正に於いて、連結範囲となる株式保有割合を95%から80%へ引き下げを行うとともに、2%の付加税の課税対象事業者から公共事業者を除外し、超過利潤税に関連する規定の廃止等を行った。
1964年では、付加税は廃止に、また、1966年の改正では、これまで制度適用しているグループ・各会社内に於ける会計方法を統一することを強制していたが、これを廃止した。また
1. 米国型連結納税制度
1-1. 米国型連結納税制度の沿革
米国に於ける連結納税制度は、1917年の第一次世界大戦の最中、世界中のどの国に先駆けて導入された。その当時、米国は、第一次世界大戦に於ける戦費調達の為、累進性の高い超過利潤税を設けていた。しかし、納税者である企業は、超過利潤税を回避するため、企業自体の組織の分割を図る、いわゆる租税回避行為を行っていた。
そこで、同年、行政当局からだけではなく、外部のアメリカ会計士協会からも連結納税制度導入に関する要望書が提言という形で出されていた。
そして、「租税回避行為を防止し、グループを一つの単位として課税する為に強制適用された連結納税制度」 が導入され、1918年に初めて法律に明文化され、同時に歳入法第240条により、法人税(連邦所得税)法上に於いても強制適用することとなった。
1921年、第一次世界大戦の終結と同時に、戦費調達としての超過利潤税に於ける存在意義がなくなり廃止された事から、連結納税制度も同様に廃止された。しかしながら、法人税(連邦所得税)法上に於ける連結納税制度については、これまでの強制適用から企業による選択適用へと適...