『蟹工船』による昭和の日本資本主義構造の検証
日本資本主義論争とは、革命を目指すマルクス主義者達による、当時の日本の資本主義の状況の把握に関する論争であったといえる。現在日本社会はまだ封建的な要素を持っているから、二段階の革命が必要であると主張した共産党系の講座派と、日本はすでに契約関係の資本主義社会を確立していると主張した非共産党系の労農派が論争を展開した。では、今日から見たとき、当時の日本社会をどのように解釈することが妥当なのだろうか。今回は小林多喜二の『蟹工船』をその参考資料とし、考察してみることにする。
はじめに、『蟹工船』に見られる資本家と労働者の関係を確認しておくことにする。『蟹工船』の舞台では、いうまでもなく資本家が労働者に対して圧倒的な力を持っていて、「監督」はそれこそ、労働者から搾り取れるだけ搾り取ろうとする。農村でこそないが、生活に窮した貧民達はこのような船に乗ることを余儀なくされ、また陸から隔離されることによって、逃げ出すこともできない。これは正しく土地にしばりつけられる小作人と同じ状況である。もっとも注意しておくべきは、『蟹工船』に描かれているのはあくまで当時の北海道の状況であり、本州の方も同様であったかどうかはわからない(実際本文中にも、「ここの百に一つくらいのことがあったって、あっちじゃストライキだよ。」「内地では、労働者が『横平』になって無理がきかなくなり」といった記述がある)。
では以下、日本資本主義論争の争点となった事柄について検証していくことにする。はじめに、戦略論争・封建論争についてであるが、野呂栄太郎が主張した、絶対主義の物質的基盤としての封建的土地制度が残っているということに関していえば、土地にしばりつけられているということについては前述の通り、逃げることができなかったという点で蟹工船にも当てはめることが可能であると思うが、封建的制度の地主が農民の生産を直接搾取しているということについては、この場合は当てはまらない。「監督」は労働者の働きをあくまで「換金」しているからである。この点に関しては、農村の状況とは異なっていて、資本主義経済となっていた部分であったといえるだろう。
小作料(この場合は雇用者が搾取する割合とみるが)に関していえば、櫛田民蔵の主張のうち、物納地代が観念的には貨幣化されているということについては今述べたように、「監督」は労働者からとりたてた現物(蟹缶詰)をお金に換えている(というよりは、「監督」自身の賃金も会社との契約関係によるか)し、労働者も現金で賃金をもらうであろうから、この場合は完全に貨幣化されている。また、「監督」と労働者達との関係は契約関係であるとはいえると思うが、財産の自由はあるにしても、土地を離れる自由については微妙なところである。船に乗るのは一応自分の意志であるし、仕事が全て終われば船を降りることができるが、航海中は逃げることはできないからである。また『蟹工船』には「移民百姓」についても少しだけ記述がある。田畑が奪われそうになった内地の貧農がうまい話で扇動されて移住してくるが、荒ブ地を十年もかかって耕し、ようやく普通の畑になったところで資本家の手に渡るようになっていて、内地のときと同じ「小作人」にされてしまってから始めて「しまった!」と気づくということであった。やはり土地の自由という点に関していえば、かなり疑問もあるところである。
それから、小作料の高さが市場原理によって規定されるという点については確かにその通りで、この蟹工船の場合も、労働を買ってほしい者の人口の
『蟹工船』による昭和の日本資本主義構造の検証
日本資本主義論争とは、革命を目指すマルクス主義者達による、当時の日本の資本主義の状況の把握に関する論争であったといえる。現在日本社会はまだ封建的な要素を持っているから、二段階の革命が必要であると主張した共産党系の講座派と、日本はすでに契約関係の資本主義社会を確立していると主張した非共産党系の労農派が論争を展開した。では、今日から見たとき、当時の日本社会をどのように解釈することが妥当なのだろうか。今回は小林多喜二の『蟹工船』をその参考資料とし、考察してみることにする。
はじめに、『蟹工船』に見られる資本家と労働者の関係を確認しておくことにする。『蟹工船』の舞台では、いうまでもなく資本家が労働者に対して圧倒的な力を持っていて、「監督」はそれこそ、労働者から搾り取れるだけ搾り取ろうとする。農村でこそないが、生活に窮した貧民達はこのような船に乗ることを余儀なくされ、また陸から隔離されることによって、逃げ出すこともできない。これは正しく土地にしばりつけられる小作人と同じ状況である。もっとも注意しておくべきは、『蟹工船』に描かれているのはあくまで当...