【2014】【明星大学】【日本史各論2】合格レポート(1.2単位目)

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    資料紹介

    2014年度の明星大学 教育学部 通信教育課程における、レポート課題の合格レポートです。特に指摘もなく、高評価で1回目で「合格」の評価をいただきました。皆様のお役に立てれば幸いです。

    また、本科目の科目終了試験の過去問と回答例も別データで販売しております。科目終了試験を受ける方、レポートに一工夫を加えたい方は参考にしていただければ幸いです。

    【課題】
    1.鎌倉時代後期の政治における徳政と得宗専制について論述せよ。
    2.建武政権の特質について論述せよ。
    2 単位目
    1.鎌倉後期〜南北朝期の社会の変動について、悪党や民衆の活動を中心に論述せよ。
    2.鎌倉後期〜南北朝期の文化の特質について論述せよ。

    →【過去問】と【合格レポート】 まとめブログ : http://ameblo.jp/meiseitarou/

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    【課題】

    1.鎌倉時代後期の政治における徳政と得宗専制について論述せよ。

    2.建武政権の特質について論述せよ。

    2 単位目

    1.鎌倉後期〜南北朝期の社会の変動について、悪党や民衆の活動を中心に論述せよ。

    2.鎌倉後期〜南北朝期の文化の特質について論述せよ。

     【本文】

    1単位目

    1.

    モンゴルとの二度の戦争が終わり、幕府はその後の対応に追われることになった。寺社や武士の恩賞要求などの戦後処理を行わなければならないからだ。そこで御恩奉行を務めていた安達泰盛は、政治改革として弘安徳政を行った。この弘安徳政は鎌倉幕府を段階的に見る際の一つのターニングポイントであると思われる。その後、霜月騒動により安達泰盛に代わり御内人代表の平頼綱が政権を担うことになるが、それも長くは続かなかった。つまり、モンゴルとの戦争の戦後処理ともいえる、北条時宗の死後、北条貞時へと、得宗が代替わりする途中での、つなぎの政治にあたる弘安徳政はこれ以降の執権北条氏の家督をいう得宗である貞時自身が政治を行う、鎌倉幕府最後の四十年である徳宗専政政治のはじまりを示すものでもあるのだ。

     貞時自身も御家...

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