ジョン・ウェスレーおける「全的堕落」の理解についての考察
1.アダムの罪責と全的堕落
前期 -罪への奴隷はアダムからの継承であり、罪責の結果ではない―
若きウェスレーは、アダムから継承した堕落した本性に関して、人類の腐敗性を罪責と関係させず、国教会・東方教会と共通する*生理学的な説明をしている.
・英国国教会『三十九箇条』――原罪はアダムに倣うことではなく、万人の性質の欠陥と腐敗である
・マカリオス・シリアキリスト教――人類の堕落の普遍的状態は、情熱の堕落が全人類に浸透した結果
・ウェスレー――1730説教「神の像」――罪の状態は究極的には、情熱・情感の問題であり、禁じられた果実が人間の諸機能を衰弱・腐敗させた
*生理学的説明は国教会を始め、諸教会の伝統に流れ、「伝達説」と「創造説」とがある。
伝達説――堕落したアダムの肉体と魂とが子孫に伝達されたため、人類の腐敗が起こる
創造説――肉体はアダムによって伝達されるが、魂は神によって直接創造される。しかし誕生時に、罪深い肉体に置かれるため、人類は腐敗現象を起こす。
『三十九箇条』もマカリオスも共に、どちらにも解釈できる。ウェスレーは、法的捌きとしての罪責の継承には言及せず、生理学的な人類の腐敗現象の立場を取り、この腐敗した人間の本性を癒すために、神との参与を更新することに関心を示していた。その点で国教会と一致する
中期 ―生理学的説明が退き、罪責の概念を受け入れる―
・人類の代表として神と契約を結んだアダムはそれを破る。その結果アダムの罪責とそれに伴う刑罰は全人類に転嫁される。――アダムは人類の契約の盟主(federal head)であるという改革派の思想
・ウェスレーは人間の全的堕落を確信するが、この堕落を、原罪の転嫁された罪責の結果であり、神の刑罰のためとは受けとらなかった。(堕落の転嫁説は人間の自由、応答性を否定しかねないため。)むしろ東方同様、神の恵みから離れ、神への応答を拒否する人間の霊的腐敗に関係させる。「あなたがそれを原罪と呼ぼうと、その他の表現で呼ぼうと」という言葉からもわかるとおり、ウェスレーの関心は原罪の教理の正統化にはない。彼の関心は、現実の情感・気質の腐敗の癒し、生まれながらの罪・腐敗の癒しにあった。
→原罪の教理より聖化の教理を強調
――原罪の説明よりも、原罪の結果堕落している人間の聖化により関心を抱き、この聖化のために働く神の恵みにいかに人間が責任を持って応答するかに視点を向ける
1776年の手紙
「いかなる赤子といえどもアダムの罪の罪責故に地獄に落とされることはなかったし、これからもないであろう。なぜならかれらがこの世に誕生するやいなや、その罪責はキリスト教の義によって」
後期 ―罪責を個人の犯す罪と考える―
・ウェスレーが独立したアメリカのメソジスト教徒のために『三十九箇条』の信仰箇条を短縮したものが『二十五箇条』(1784)であるが、『三十九箇条』の第九条のすべての人間は生まれながらにして神の怒りとのろいを受けているという段落は削除された。
・また同時に1782説教「人間の堕落について」において、生理学的説明が再び前面に出る
・人間の腐敗は、アダムの罪に参与した結果による罰であるより、アダムが神から離れて罪を犯したのと同様、人間が神なしに生きた結果であると解釈する。
2 アダムの全的堕落
ウェスレーの全的堕落理解
・前期のウェスレーは、堕落した人間に神の見救いの恵みに応答する自然能力が残存すると理解するが
中期においては、自然的能力を徹底的に拒否する。これはアル
ジョン・ウェスレーおける「全的堕落」の理解についての考察
1.アダムの罪責と全的堕落
前期 -罪への奴隷はアダムからの継承であり、罪責の結果ではない―
若きウェスレーは、アダムから継承した堕落した本性に関して、人類の腐敗性を罪責と関係させず、国教会・東方教会と共通する*生理学的な説明をしている.
・英国国教会『三十九箇条』――原罪はアダムに倣うことではなく、万人の性質の欠陥と腐敗である
・マカリオス・シリアキリスト教――人類の堕落の普遍的状態は、情熱の堕落が全人類に浸透した結果
・ウェスレー――1730説教「神の像」――罪の状態は究極的には、情熱・情感の問題であり、禁じられた果実が人間の諸機能を衰弱・腐敗させた
*生理学的説明は国教会を始め、諸教会の伝統に流れ、「伝達説」と「創造説」とがある。
伝達説――堕落したアダムの肉体と魂とが子孫に伝達されたため、人類の腐敗が起こる
創造説――肉体はアダムによって伝達されるが、魂は神によって直接創造される。しかし誕生時に、罪深い肉体に置かれるため、人類は腐敗現象を起こす。
『三十九箇条』もマカリオスも共に、どちらにも解釈できる。ウェスレーは、...