クルアーン(コーラン)が成立した経緯は、クルアーン自身とハディース(預言者ムハンマドの言行録)、およびムスリム(イスラム教徒)の伝承によれば、以下の通りである。
アラビアヒジャーズ地方の町であるマッカ(メッカ)の商人であったムハンマドは、年齢が40歳ほどであった西暦610年頃に、迷うところがあってしばしばマッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想していた。ある日の瞑想中に突然、大天使ジブリール(ガブリエル)が彼のところにあらわれ、神から託された第一の啓示を与えた。
はじめムハンマドはこれをジン(魔人)に化かされたものかと思って怖れたが、やがてこれを本当に神から与えられた啓示だと信じて、自ら啓示を受け取って人々に伝える、使徒としての役割を務めることを決意した。そのようにして啓示はムハンマドが死ぬまで何回にも分けて下された。
ムハンマド自身は文盲(読み書きができなかった)であったため、彼を通じて伝えられた啓示は、ムハンマドと信徒たちの暗記によって記憶され、口伝えによって伝承された。ただし、ムハンマド自身は名家の出身であり、富裕な商家の婦人ハディージャを娶り商業に従事していたことから考えると、伝承の通りムハンマドが本当に文盲であったかどうかについては疑問視する説もある。また、ムハンマドの生前から彼に直に接した信徒たちによって啓示されたクルアーンの一部は、木の板や棕櫚の葉、石板などに文字としてその都度(バラバラではあったが)記録されていた。このことはハディースなどでも伝えられている。しかし、後にムハンマドに直に接し、啓示を記憶していた者(教友)が老いて死に絶えはじめ、記憶を後の世に残すためにクルアーンが文字として記録され、書物としてまとめられた。このように書物の形にまとめられたクルアーンを、ムスハフという。
しかし、文字に起こされた伝承(ムスハフ)は、イスラーム共同体の全体としての統一した文字化が行われなかったので、次第に伝承者や地域によって内容に差違が生じてしまったり、伝承者による意図的な内容の変更や、伝承過程での混乱が起こりはじめて、問題となった。第3代正統カリフのウスマーンはこのことに危機感を抱いてクルアーンの正典化を命じ、650年頃、ザイド・イブン=サービトらによってクルアーンの編集・文書化が行われて、1冊のムスハフにまとめられた。ウスマーンは公定ムスハフを、標準クルアーン(ウスマーン版と呼ばれる)とし、それ以外のムスハフを焼却させた。このため、ウスマーン版を除くムスハフは現在までのところ発見されておらず、クルアーンには偽典や外典のたぐいは存在しないとされている。