湾岸戦争の経緯について

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    資料紹介

    1988 年8 月20日、イスラム原理主義国家イランとフセイン大統領独裁国家イラクとの、8年間に及ぶイラン・イラク戦争が一応の停戦を迎えた。この戦争の結果、イラクは600億ドルもの膨大な戦時債務を抱えることとなり、経済の回復も遅れていた。このような中で、サウジアラビア、クウェートがOPEC の割当量を超えた石油の増産を行なったことにより、石油価格は大きく下がり、石油輸出に依存していたイラク経済にさらなる打撃を与えていた。またクウェートは、イラン・イラク戦争時にイラクに援助した100 億ドルの資金を返還するよう働きかけた上、イラクが領有を主張しているルメイラ油田から大量採掘を行った。クウェートに対してイラクは抗議を続け、イラクのアジズ副首相は24億ドルの損害賠償をクウェートに請求、エジプトのムバラク大統領が仲介に立つが間もなく交渉は決裂した。7 月27日にイラクはクウェート北部国境に機甲師団を集結させる。それに対しクウェートは、充分な防衛体制をしかなかった上、7 月31日の両国会談ではイラクを激しく侮辱した。これらのことがイラクのクウェート侵攻の背景にある。そして1990 年8 月2日にイラク軍は大規模な地上部隊を以てクウェート領に侵攻を開始した。

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       湾岸戦争の経緯
    について
                               
                                  
     湾岸戦争の経緯
    1988

    8

    20


    イスラム原理主義
    国家
    イラン

    フセイン
    大統領
    独裁国家イラクとの、
    8
    年間に及ぶ
    イラン・イラク戦争
    が一応の停戦を迎えた。 この戦争の結果、 イラクは
    600

    ドルもの膨大な戦時債務を抱えることとなり、
    経済
    の回復も遅れていた。  このような中
    で、
    サウジアラビア
    、 クウ ェートが
    OPEC
    の割当量を超えた
    石油
    の増産を行なったことに
    より、 石油価格は大きく下がり、 石油輸出に依存していたイラク経済にさらなる打撃を与
    えていた。 またクウェートは、 イラン・イラク戦争時にイラクに援助した
    100
    億ドルの資
    金を返還するよう働きかけた上、 イラクが領有を主張しているルメイラ油田から大量採掘
    を行った。 クウェートに対してイラクは抗議を続け、 イラクのアジズ副首相は
    24
    億ドルの
    損害賠償をクウェートに請求、 エジプトのムバラク大統領が仲介に立つが間もなく交...

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