1.はじめに
急激な社会の変化に伴い、国際理解教育、人権教育、情報教育、環境教育など、学校教育に求められている内容も複雑化している。子どもたちの「生きる力」の必要性が盛んに叫ばれる昨今であるが、現在の教育制度はどのように変化してきているのであろうか。ここでは中学校を対象に考察してみたい。
2.新制中学校の発足
新制中学校制創設を決めた6・3制の学制は、敗戦の翌年(昭和21年)に来訪したアメリカ教育使節団の勧告により、昭和22年4月から実施に移したものである。この来訪を機に、日本の教育の基本となる教育基本法と、6・3制を定めた学校教育法ができた。これは、民主主義に基づいて新しい日本を建設しようとする堅い意志と、文化的な民族の復興と平和な国家の再建を熱望したことの表れにほかならなかった。
しかし、市町村の財政も窮乏の極に達していた時だけに、当時の中学校はいずれも小学校に同居を余儀なくされ、特に教師の不足は深刻であり、教育経験のない有資格者を充当することも多かった。
このような混乱の中で発足した新制中学校ではあったが、50年の間に成長期から充実期を迎えている。経済の安定と社会の発展に伴って、教育制度や社会環境が整い、教育内容や教育活動も行われ、充実していったのである。
新制中学校の発足から今日の中学校教育までの歩み
はじめに
急激な社会の変化に伴い、国際理解教育、人権教育、情報教育、環境教育など、学校教育に求められている内容も複雑化している。子どもたちの「生きる力」の必要性が盛んに叫ばれる昨今であるが、現在の教育制度はどのように変化してきているのであろうか。ここでは中学校を対象に考察してみたい。
新制中学校の発足
新制中学校制創設を決めた6・3制の学制は、敗戦の翌年(昭和21年)に来訪したアメリカ教育使節団の勧告により、昭和22年4月から実施に移したものである。この来訪を機に、日本の教育の基本となる教育基本法と、6・3制を定めた学校教育法ができた。これは、民主主義に基づいて新しい日本を建設しようとする堅い意志と、文化的な民族の復興と平和な国家の再建を熱望したことの表れにほかならなかった。 しかし、市町村の財政も窮乏の極に達していた時だけに、当時の中学校はいずれも小学校に同居を余儀なくされ、特に教師の不足は深刻であり、教育経験のない有資格者を充当することも多かった。 このような混乱の中で発足した新制中学校ではあったが、50年の間に成長期から充実...