憲法論文答案練習 人権
~思想・良心の自由~
【問題】
憲法19条のいう「思想及び良心」の意義について論ぜよ。
【考え方】
・・・憲法19条により「思想及び良心の自由」が保障される。「思想及び良心の自由」の意義については、①思想と良心を一体と捉えるか、①で一体と捉えるとした上で、②「思想及び良心」の意義をどのように解するかが問題となる。
① 思想と良心を一体と捉えるか
1)一体説(最判昭和31.7.4・謝罪広告強制事件)
・・・両者が密接なつながりをもち重なり合っていること等を根拠として、一体と捉える見解
2)信仰説
・・・沿革等を根拠として、両者を分けた上で「良心」を信仰の意味に解する見解
② ①で一体説をとった上で、「思想及び良心」の意義をどう解するか
1)内心説
・・・「思想及び良心の自由」が原理的保障としての意味を強く持つこと等を根拠として、それを広く捉える見解
2)信条説
・・・「思想及び良心の自由」が信教の自由、学問の自由と内的関連を有すること等を根拠として、それを限定的に捉える見解
→ ・思想の自由:精神活動の論理的側面
・良心の自由:精神活動の倫理的側面 に対応している。
【答案例】
憲法19条にいう「思想及び良心」の意義をどのように解するべきか。
そもそも、思想と良心とは密接なつながりをもち、重なり合っているのであるから、両者を区別する積極的理由に乏しい。したがって、両者は一体として捉えるべきである。問題は、むしろ、両者を一体と捉えた上で、「思想及び良心」を広く「物事に関する是非弁別の判断」等と捉えるのか(内心説)、限定を加えて「宗教上の信仰に準ずべき世界観、人生観等の人格形成の核心をなすもの」等と捉えるのか(信条説)である。
思うに、内心説によるとあまりに広範すぎて思想及び良心に対する保障が法的に無意味になりかねない。また、思想・良心の自由と信教の自由、学問の自由等が、内的関連性を有すると考えられることからして、思想・良心の自由にも一定の限界があるというべきであるし、「思想」「良心」という文言からしても、単なる内心というよりも、「信仰」に準ずるような人格の核心等を意味すると考えるのが自然である。
したがって、私は、「思想及び良心」を「宗教上の信仰に準ずべき世界観、人生観等の人格形成の核心をなすもの」と考える。
以上
~謝罪広告掲載命令~
【問題】
判決によって、新聞紙上に謝罪広告の掲載を強制することは憲法19条に反しないのか。
【考え方】
判決によって謝罪広告の掲載を強制することは、良心の自由ないし沈黙の自由を侵害し違憲となるのではないかという点について、以下の2つの見解が対立する。
1)違憲説
・・・内心説の立場を前提として、本人の意思に反して是非弁別の意識、判断を強制することは沈黙の自由を保障した憲法19条に違反するとする見解。
2)合憲説(最判昭和31.7.4・謝罪広告強制事件)
・・・信条説の立場を前提として、通常の謝罪広告では、信条やそれに準ずる世界観、人生観等の表明が問題となっているわけではないとして、19条とは無関係であるとする見解。
【答案例】
そもそも、憲法19条にいう「思想及び良心」の意義をどのように解するべきか。
思想と良心とは密接なつながりをもち、重なり合っているのであるから、両者を区別する積極的理由に乏しい。したがって、両者は一体として捉えるべきである。問題は、むしろ、両者を一体と捉えた上で、「思想及び良心」を広く「物事に関する是非弁別の判断」等と捉えるのか(内心説)、限定を加えて「宗教上の信仰に準ずべき世界観、人生観等の人格形成の核心をなすもの」等と捉えるのか(信条説)である。
思うに、内心説によるとあまりに広範すぎて思想及び良心に対する保障が法的に無意味になりかねない。また、思想・良心の自由と信教の自由、学問の自由等が、内的関連性を有すると考えられることからして、思想・良心の自由にも一定の限界があるというべきであるし、「思想」「良心」という文言からしても、単なる内心というよりも、「信仰」に準ずるような人格の核心等を意味すると考えるのが自然である。
したがって、私は、「思想及び良心」を「宗教上の信仰に準ずべき世界観、人生観等の人格形成の核心をなすもの」と考える。
では、本問のような、判決によって新聞紙上に謝罪広告の掲載を強制することは憲法19条に違反しないか。
上記の通り、「思想及び良心」を「宗教上の信仰に準ずべき世界観、人生観等の人格形成の核心をなすもの」とすれば、例えば、ある信仰またはそれを準ずる思想、主義を抱いていたことを非とし、そのことについて謝罪するものであるのならともかく、通常の謝罪広告では、信条またはそれに準ずる世界観、主義、思想等の表明の強制等が問題となっているわけでなく、単に当事者が自己の意思に反して「いやいやながら命令に従う」にすぎないから、憲法19条とは無関係である。
したがって、私は、判決によって新聞紙上に謝罪広告を掲載することは強制する謝罪広告掲載命令は、憲法19条に反しないと考える。