はじめに
室町幕府八代将軍足利義政の妻にして九代将軍義尚の生母、日野富子。彼女は、応仁の乱のきっかけを作った人物と言われ、後には政治に口を挿み、更に素晴らしく巧みに金を稼いだ。そのため、多くの文献で彼女は「女性史上一、二を争う悪妻」や「金と権力の権化」などとあまり良くない評価がなされている。しかし本当に富子はそれほど稀代の悪女であったのか疑問に思うところがあった。そこで今回このレポートで彼女の生涯の中で主だった事件について検証し、日野富子という人物にせまっていきたいと思う。
一、御台所としての富子
富子は十六歳のとき生家・日野家から将軍の御台所となるため室町御所へと嫁いだ。日野家はそれほど格の高い家柄でもなかったのだが、天皇の准母にまでのぼりつめた三代将軍義満の正室日野康子の頃より、将軍家には日野家の者が正室として迎えられしきたりが続いていた。そういった経緯で富子は八代義政のもとへ嫁いできたのだが、それで彼女はまず義母であり、叔母である重子と義政の乳母であり妾同然の存在であった今参局の思惑に出くわす。この二人は富子が世継ぎを宿すか否かで左右される立場の女たちであった。
中世文学史 日野富子について
はじめに
室町幕府八代将軍足利義政の妻にして九代将軍義尚の生母、日野富子。彼女は、応仁の乱のきっかけを作った人物と言われ、後には政治に口を挿み、更に素晴らしく巧みに金を稼いだ。そのため、多くの文献で彼女は「女性史上一、二を争う悪妻」や「金と権力の権化」などとあまり良くない評価がなされている。しかし本当に富子はそれほど稀代の悪女であったのか疑問に思うところがあった。そこで今回このレポートで彼女の生涯の中で主だった事件について検証し、日野富子という人物にせまっていきたいと思う。
一、御台所としての富子
富子は十六歳のとき生家・日野家から将軍の御台所となるため室町御所へと嫁いだ。日野家はそれほど格の高い家柄でもなかったのだが、天皇の准母にまでのぼりつめた三代将軍義満の正室日野康子の頃より、将軍家には日野家の者が正室として迎えられしきたりが続いていた。そういった経緯で富子は八代義政のもとへ嫁いできたのだが、それで彼女はまず義母であり、叔母である重子と義政の乳母であり妾同然の存在であった今参局の思惑に出くわす。この二人は富子が世継ぎを宿すか否かで左右される立...