「『史記』の伯夷列伝について」
『史記』は、二千年以上前に司馬遷によって書かれた歴史書である。現在では、『史記』と呼ばれているが、本来、「史記」とは、史官の記録という意味で、歴史記録を指す普通名詞であった。そのため、司馬遷は、自身の書を『太史公書』と称しており、『史記』本文の最後である列伝の巻七十には、「以上、あわせて百三十篇、五十二万六千五百字。題して『太史公書』とする。」(参考文献二、五三八頁より引用)とも記されている。その後、『太史公』や『太史公記』などと呼ばれ、『太史公記』が省略され、『太史記』となり、更に省略されて『史記』となった。この『史記』といった呼称は、後漢末時代に記された『漢紀』の巻三十に表れている為、このころから『史記』と呼ばれるようになったと考えられる。また、先に引用した『史記』列伝の巻七十に書かれているように、この『史記』は、百三十篇からなる大作である。この『史記』列伝の巻七十には、引用した部分以外にも、その百三十篇の構成が書かれており、それらの大別は、十二篇の「本紀」、十篇の「表」、八篇の「書」、三十篇の「世家」、七十篇の「列伝」の五部門からなることが記され...