漢文学Ⅰ 分冊2
日本大学 専門教育科目(国文科)
『楚辞』は、戦国時代末、楚国に行われた歌謡に基盤をもち、屈原の作品を主とし、その作風をつぐ弟子や後人の作を集めたもので、十六巻、前漢の劉向編とされ、のち後漢の王逸おういつが自作を加えて十七巻とする。形式・特色として句中に「兮」の字をはさみ、独特のリズムを生みだしている書である。
屈原は、中国戦国時代の楚の政治家、春秋戦国時代を代表する詩人であり、愛国の情から出た詩は楚の詩『楚辞』の中で代表とされ、その中でも代表作とされる「離騒」は後世の愛国の士から愛された。
屈原(くつげん、紀元前343年ごろ- 紀元前278年5月5日)は楚の滅亡を嘆きつつ、紀元前二二七年頃の陰暦五月五日、石を抱いて旧羅の淵に身を投じました。この時、彼は六十余歳、楚の滅亡の数十年前のことである。
死に臨んで屈原が詠じた「懐沙」の一節には「死は譲るべからずと知る。願わくは愛しむことなからん。明らかに君子に告ぐ。吾、まさに以て類に為らんとす」とあり、もはやほかに道はないのだから、せめて命を惜しんでためらうまい、今こそ世の君子に告げる、我はまさに忠臣の範とならんという、死...