はじめに
良い看護とはどのようなもので、良い看護を行うには何が重要かということと、私の考えるところを以下に述べる。
良い看護とはどのようなものか
「良い看護」について記されている文献を読むと一人一人「良い看護」の理解が違うことに気付いた。つまり「よい看護」は十人十色の理解がなされているのである。ただし共通する点が2点ある。1点目は注射が上手い、何かの介助が上手い、などのように看護技術が高いことが「良い看護」とは述べられていないこと。2点目は患者様、または患者様とそのご家族との関係に立った立場から看護を始めることが「良い看護」の始まりだという意見、「良い看護」とは患者様が感じるものであるいう意見が多かったことである。
はじめに
良い看護とはどのようなもので、良い看護を行うには何が重要かということと、私の考えるところを以下に述べる。
良い看護とはどのようなものか
「良い看護」について記されている文献を読むと一人一人「良い看護」の理解が違うことに気付いた。つまり「よい看護」は十人十色の理解がなされているのである。ただし共通する点が2点ある。1点目は注射が上手い、何かの介助が上手い、などのように看護技術が高いことが「良い看護」とは述べられていないこと。2点目は患者様、または患者様とそのご家族との関係に立った立場から看護を始めることが「良い看護」の始まりだという意見、「良い看護」とは患者様が感じるものであるいう意見が多かったことである。
これは患者様中心の医療が叫ばれている現在、とても重要なことである。なぜなら患者様の立場に立つことなしに患者様中心の医療に不可欠なインフォームドコンセントによる自己決定を医療従事者は尊重することができないからである。こうなると看護は結果として図形式的なパターナリズムになり看護師のただの自己満足であり「与える看護」「してあげる看護」になってしまうと言えよう。
ところで私は様々...