50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践のあり方を具体的に論述すること。
同和教育が必要とされるようになったのは、今もなお残る部落差別があるからである。部落と呼ばれる差別は同じ人間でありながら、身分制度があったからである。その差別の歴史は紀元107年の倭の国の記録に記されている、奴隷という意味をもつ「生口」からである。また、魏志倭人伝の記録にも「大人」、「下戸」、「奴婢」という身分制度があり、この身分制度は豪族集団の征服・支配の紛争関係の中で形成され、勝者が敗者を奴隷的存在としてきたのである。
そして、江戸時代の「穢多・非人」などとよばれる身分が、今の部落差別につながっている。それがいまだに根強く今日まで続いてきてしまっているのである。しかし、このような「穢多・非人」という身分制度に対する反対も起こっていた。各地で起こった百姓一揆に穢多が参加することも少なくなかった。一揆を鎮めたり、また、一揆の首謀者の刑の執行などに穢多や非人を動員していたこともあり、明治維新の身分解放令に対する「解放令反対一揆」をもたらす一因になったと思われ...