「「仮名づかい」について述べよ。」
平仮名・片仮名が使われ始めたころは、一つの音節に一つの仮名が対応していたため、仮名遣いの問題は起こらなかったが、平安中期以降、音韻が変化し、例えば「い・え・お」と「ゐ・ゑ・を」の音が同音となり、語中・語尾の「は・ひ・ふ・へ・ほ」と「わ・ゐ・う・ゑ・を」の音が同音となったために、これらの音の仮名表記には、二種類以上の仮名が使用されるようになって、区別して書き表すことが困難となった。さらに、「は」行については文頭にある場合は「は」行の発音であるのに、文頭以外では「わ」行の転呼音で読まれるという複雑な使い分けが生まれた。また、平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、「ゐ・ゑ・を」の消滅などもおこるなど音韻の変化が仮名づかいの変遷には大きく影響している。
「「仮名づかい」について述べよ。」
平仮名・片仮名が使われ始めたころは、一つの音節に一つの仮名が対応していたため、仮名遣いの問題は起こらなかったが、平安中期以降、音韻が変化し、例えば「い・え・お」と「ゐ・ゑ・を」の音が同音となり、語中・語尾の「は・ひ・ふ・へ・ほ」と「わ・ゐ・う・ゑ・を」の音が同音となったために、これらの音の仮名表記には、二種類以上の仮名が使用されるようになって、区別して書き表すことが困難となった。さらに、「は」行については文頭にある場合は「は」行の発音であるのに、文頭以外では「わ」行の転呼音で読まれるという複雑な使い分けが生まれた。また、平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、「ゐ・ゑ・を」の消滅などもおこるなど音韻の変化が仮名づかいの変遷には大きく影響している。
一、定家仮名づかい
いろは歌という形での仮名表が成立したが、音韻の変化により、鎌倉時代初期には発音と表記とにずれが生じ、すでに表記が混乱した状態にあった。そこで、きまりを整える必要があり、藤原定家が『下官集』で「を・お」「え・へ・ゑ」「ひ・ゐ・い」の三種八文字において、十一世紀後半から十二世紀にかけての物語...