序論
芥川龍之介は、王朝時代に現れた作品を少し変えたり、あらすじを取り上げ、さらに明確に描いたりしながら、新しい作品を作っていった。そういう作業が特別な意味を持っているのではないかと思える。当書は「鼻」を具体例に、著者が伝えたいことを解明することが目標となっている。芥川の「鼻」の基になっているのは、宇治物語と今昔物語なのである。それらの間には、あまり違いがないので、今後、比較の際には宇治物語だけを使うことにする。
まず、内容を書いておこう。内供という僧侶の鼻が非常に長いので、周りの人に笑われるため、どうしても自分の鼻を短く見えるようにしたいのである。そのために様々な方法を試すが、無効。結局、弟子が見つけた新しい、鼻を短くする方法を試すことになる。今回は成功だが、周りの人に笑われ続けるわけで、元の状態に戻る希望が現れる。すると、翌日、鼻は実際に前のように長くなっている。
前述の目的を達するためには、次に変更を指示しなければならない。
本論
最初の同異は、鼻の描写にある。宇治物語には、「・・・鼻長かりけり。五六寸ばかりなりければ、おとがひより、さがりてぞ見えける。色は赤紫にて、大柑子のはだのやうに、つぶだちて、ふくれたり。かゆがる事がぎりなし。」としか書いてないのである。芥川によって書かれた作品には、こう書いてある。「禅智内供の鼻といえば、池の尾で知らない者はない。長さは五六寸あって、上唇の上から顎の下まで下がっている。形は元も先も同じように太い。いわば、細長い腸詰めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下がっているのである。」両方を見てみると、芥川の方が鼻を強く紹介することが目立つ。
王朝物の「鼻」と芥川龍之介の「鼻」の比較
著者が伝えたいこと
序論
芥川龍之介は、王朝時代に現れた作品を少し変えたり、あらすじを取り上げ、さらに明確に描いたりしながら、新しい作品を作っていった。そういう作業が特別な意味を持っているのではないかと思える。当書は「鼻」を具体例に、著者が伝えたいことを解明することが目標となっている。芥川の「鼻」の基になっているのは、宇治物語と今昔物語なのである。それらの間には、あまり違いがないので、今後、比較の際には宇治物語だけを使うことにする。
まず、内容を書いておこう。内供という僧侶の鼻が非常に長いので、周りの人に笑われるため、どうしても自分の鼻を短く見えるようにしたいのである。そのために様々な方法を試すが、無効。結局、弟子が見つけた新しい、鼻を短くする方法を試すことになる。今回は成功だが、周りの人に笑われ続けるわけで、元の状態に戻る希望が現れる。すると、翌日、鼻は実際に前のように長くなっている。
前述の目的を達するためには、次に変更を指示しなければならない。
本論
最初の同異は、鼻の描写にある。宇治物語には、「・・・鼻長かりけり。五六寸ばかりなりけれ...