連関資料 :: 国語

資料:822件

  • 国語科指導法(スクーリング)
  • ○国語科のねらいとは 国語科の目標の中に、「国語に対する関心を深め、国語を尊重する態度を育てる」という内容がある。 これは究極的なねらいとする目標である。言語と人間とのかかわり、国語と日常生活との結びつきの重要性を自覚させ、国語を尊重する態度を育てることは、国語に対する関心や認識を深めさせ、国語による表現力及び理解力を育成し言語生活をよりよく充実させていくことになるのである。  今日的課題から、豊かな人間性や社会性を持ち,国際社会に適応できる資質と調和のとれた人間形成をめざすことは重要である。成長と共に,相手の思いを理解しながら自分との違いを感じ,どう対処するか考える機会は多くなる。ところが,少子化・核家族化が進む社会において,人とのかかわりがうまくできないために起こる事件が年々増えている。家族や友達とさえ,うまくコミュニケーションをとれない子どももいる。人とのふれあいが希薄になっている現代こそ,母国語について正しく理解をすることが望まれる。そして,その言葉をとおした会話の大切さに気づかせながら,より円満な人間関係を築いていけるようにしていかなければならないと思う。したがって,互いの立
  • 子ども 社会 教師 言語 国語 児童 家族 学習 人間 授業
  • 550 販売中 2008/06/04
  • 閲覧(1,566)
  • 国語科教育法 リポート
  • 『「新たな時代を拓く国語科教育を具現化するための方法」を複数あげ、それぞれを展開するにあたって留意しなければならないことについて考察を図りなさい。その際、国語教育の意義、国語科教育の構造及び今日的課題をふまえるとともに、三領域一事項すべてにふれること。』 第一章 国語教育の意義  国語教育とは、学校教育の中の国語科という時間だけにとらわれずに、広く家庭や社会生活の中で行われる母語に関する教育である。そのため、各教科・領域の中で言語活動の充実と、言語能力の育成のための手立てを講じる必要がある。  1972(昭和47)年に国語審議会は「国語の教育の振興について」という答申に次のような基本理念を示している。 ①人間の自己形成・充実、②社会の成立と向上、③文化の創造と進展、この3つの理念と新学習指導要領とを合わせて、児童の学習意欲を起こさせるような言語活動の場を保証しつつ、その言語能力の育成に資するような授業の創造を目指していくことが求められている。
  • 小学校 教師 学習指導要領 言語 国語科教育法 リポート 佛教大学通信 新たな時代を拓く国語科教育
  • 1,320 販売中 2009/08/03
  • 閲覧(2,590)
  • 国語 お伽草子とは リポート評価【A】
  • お伽草子とは、室町時代から江戸時代にかけて成立した、短編の絵入り物語、及びそれらの形式である。これははじめて児童を対象としたいわゆる児童文学というものが登場することになるのである。お伽草子は三百編あまりが存在すると言われている。そのうち世に知られているものは百編程と言われているが、同名で内容が違うものや、名前は違うが内容が同じというようなパターンがあるので正確なことは分かっていない。  室町時代を中心に栄え、お伽草子の名で呼ばれるようになったのは、十八世紀に大阪の渋川清右衛門が「御伽文庫」または、「御伽草子」として二十三編の物語をまとめ刊行したことが始まりである。渋川清右衛門が選んだ二十三編とは、文章草子、鉢かつぎ、小町草子、御曹司島わたり、唐糸草子、木幡狐、七草草子、猿源氏草子、物ぐさ太郎、さざれ石、蛤の草子、小敦盛、二十四考、梵天国、のせ猿草子、猫の草子、浜出草子、和泉式部、一寸法師、さかき、浦島太郎、酒顛童子、横笛草子である。前述にもあるようにこれらが書かれたのは室町時代の初期であり、思想的には仏教が盛んになり、また社会的経済的においては町人の暮らしが向上し始めた時期である。文学
  • 文学 児童 江戸時代 現代 影響 江戸 変化 文章 児童文学 発展 国語 お伽草子
  • 550 販売中 2009/09/24
  • 閲覧(2,300)
  • (教科)国語 第1分冊
  • ~漢字の成立~  漢字は、中国語を書き表すために漢民族によって創案された文字である。現存する最古の漢字は、殷の時代後期(紀元前14~紀元前11世紀頃)のもので、甲骨文字と呼ばれる亀の甲や獣の骨に刻んだ絵文字に近いものである。甲骨文字は、次の周の時代(紀元前11~紀元前3世紀頃)で、形がほぼ一定した。周の宣王以前(前782)のものを古文といい、宣王の時に古文を一層文字化して大篆が作られた。やがて、秦(前3世紀)の始皇帝の時に、大篆を少し簡略にした字体の小篆(篆書)が作られ、また実務的な文字としてより簡略化された隷書が作られた。  さらに後漢の時(紀元後1~2世紀)に、文字を早く記するために草書が作られ、魏・晋の時代(3~4世紀頃)には隷書に基づいて楷書が作られ、また楷書を少し簡便に書いたものとして行書が作られた。  宋の時代(10~13世紀)以後は、主として楷書・行書・草書の三体が行われるようになり、日本にはこうした字体が同時的に招来され、この三字体が場面に応じて使い分けられ、現代に至っている。    紀元前一世紀に著された許慎の説文解字では、漢字の組み立てを、象形・指示・会意・形声・転..
  • 国語 玉川 通信 レポート 玉川大学 第1分冊
  • 550 販売中 2009/11/27
  • 閲覧(2,559)
新しくなった
ハッピーキャンパスの特徴
写真のアップロード
一括アップロード
管理ツールで資料管理
資料の情報を統計で確認
資料を更新する
更新前の資料とは?
履歴を確認とは?